第一題「払いのけて」
最後に残った男たちはわずか三人。どれもはじめて拝む顔だ。監禁を任されていたいかにも下っ端というチンピラどもや、一般人が聞いたら卒倒するような冷酷非道な命令を欠伸をしながら口にした偉ぶったお偉いさんは、いつのまにか姿を消していた。
人は見かけによらず。悪党面をしていないからといって油断してはいけない。
無駄のない仕事ぶりから推測するに、三人はいままで遭遇したうちではもっとも危険な、後ろ暗い連中にちがいなかった。請負の始末屋といった線か。いままでに何度も同じ手口で、依頼された『廃棄物』を処分してきた雰囲気である。
彼らはまるで庭木の剪定くずでも埋めるかのように、動けなくなった子どもたちを穴に投げ入れていった。
腕っぷしの人一倍強そうな、ひとりで大穴をこしらえた男は一仕事を終えたという風情で汗を拭きながら、うまそうに煙草などをふかしている。これから殺される十人の子どもへの憐憫など、これっぽっちもないという顔だ。
同情などいちいちしていたらこの商売も長くは続くまい。やり方としては、これで正しい。葬儀屋が死体を運ぶだけでもらい泣きはせぬのと同じ理屈だ。
襟首をまるで手荷物のように鷲づかみにされ、身体が浮いた。脇の下にまわされた腕は別れの抱擁を与えることもなく、邪険にテッドを突き放した。落下の感覚は一瞬で、衝撃はほとんどなかった。
泣き叫んだ者は女の子も男の子も関係なく失神するほど激しく殴られ、優先して穴に落とされた。順番としては、事の成り行きをひややかに見ていただけのテッドが最後だった。
下になって落下の衝撃をやわらかく受けとめてくれた子どもは、ぴくりとも動かなかった。その身体はまだじんわりとあたたかかったが、まったく脈打っていなかった。もう死んでいる、とテッドは思った。
投げ込まれるよりも先に首の骨が折れて喉を突き破っていた男の子がいたが、彼はむしろ幸運だったかもしれない。生き埋めにされてもがきながら命を絶たれるより、おそらくは苦しまずにすんだろうから。
十日あまり食事も水もほとんど与えられず、人の子として扱われることもなかった。絶望にふるえ、垂れ流しの糞尿の上に座りこむ子どもたちの列に目立たぬように融けこみながら、テッドは一度だけ見張りのひとりを上目遣いに睨みつけた。それが相手の嗜虐心を刺激したのだろう。リーダーらしき人物が止めにはいらなければ、大動脈までぶった斬られて床掃除の手間を一段階増やしてあげていたところだった。
なんてこった、とテッドは他人事のように思った。あまりにもばかばかしすぎて、抗う気すらおこらない。殺されるという恐怖も、なんとかしなければと焦る心もすべて麻痺してしまったか、あるいはどこかに失ってしまったか。
動くのが面倒だ。それに、動いたからといってどうなるものでもない。
頭上からがさがさと大量の土が降ってきた。
「たすけて、おかあさん、たすけて」
だれかが弱々しく泣き叫んだ。
気の毒なほど幼い声だった。こんな絶望的な状況に追いつめられてなお、死にたくないと渇望する年端もいかぬ魂。少年を生みおとした挙げ句に見捨てた母にはけして届かぬであろう、悲痛な願い。
守ってくれるものなど、いない。それを認める時間も与えられぬまま、哀れなあの子は逝くしかないのだ。嗄れるのどで最期まで母親を呼びながら、無の世界に招かれるのだろう。
「おかあさん、おかあ……さ……」
声は途切れがちになり、やがてまったく聞こえなくなった。
土の重みがだんだん現実的になってきて、テッドはわずかだけ眉を寄せた。ふと右手の相方が静かなことに気づき、笑みがこぼれおちる。
どうした。やけに口を噤んでいるじゃないか。
ひょっとして、はじめからそれが望みか?
九つの、まだ若い魂。エサとしては物足りないかもしれないが、当面はこれで維持できる。
宿主のを含めると十。それだけ喰らえば、土の中に己を封印することはむしろ願ったりなのだろう。
未熟で不安定な容れモノに寄生して放浪する生活に飽きたというあたりが正解か。
真の紋章は気まぐれで、狡猾で、冷酷だ。相方のその性格は宿主たる自分も少し受け継いでいる。
力を解放すれば、屈強な男が何人いても敵ではない。それを試みないのは、相方もテッドも、その結末を望んではいないからだ。
そうだ、ソウルイーター。ほんの数分手出しをしなければ、おまえの望み、すべて叶う。
おれも、疲れた。
好都合ではないか。相方と意見の一致を見るなど滅多にあることではない。いつもどちらか一方がダメだと主張し、相手の欲望を封じこんでしまう。そんな関係は、もうこれっきりにしたい。
呼吸がしづらい。肩のあたりまで土に埋もれてしまっているのだ。
土は湿っていて重い。穴の上まで積みあげられたら身体などあっさりとひしゃげてしまうだろう。
苦しいだろうか。意識はどの程度保っていられるのだろうか。
できることならすみやかにそんなものは手放したいところだが。
人生の最期に埋葬されるなど思ってもみなかった。ある意味、幸運にはちがいない。しかも、こんなにも迅速に。
祖父の願ったとおり、これでソウルイーターを守ることができる。人知れず地の底に、呪われた己の身体とともに半永久的に封印できる。
暗い。重い。冷たい。
恐怖など一瞬だ。目を瞑っていればすぐに終わる。
怖かったら、その前に眠ってしまえばよい。
クタクタに疲れているのだから、それくらいは簡単だ。
そうだ。おじいちゃんをさがせばよいのだ。きっとすぐそこまで迎えにきているにちがいない。むかし、遊びに夢中になって帰り道が暗くなると、ランプを持って村のはずれで待っていた。ひどく叱られはしたけれど、あれはおじいちゃんがおれを心配してくれたから。
目印はゆらゆらと揺れるあたたかい色のランプ。
暗い。まっくらだ。足元もみえない。
おじいちゃん、どこ?
暗い。寂しい。怖い。ひとりは、こわい。
あたりが急にしんと静かになった。ついに自分も埋もれたのだろうと思ったが、ちがった。
土をかぶせられる轟音にかわって、頭上で怒号が聞こえた。複数の声がなにやら叫んでいる。笛の音や金属のぶつかりあう音も激しく交差する。
邪魔がはいったか。ぼんやり思ったそのとき、土砂をかきわけて伸びてきたたくましい腕がテッドをひっつかんだ。
すき間というすき間を埋めた土を払いのけて、救出者はテッドを穴からひきずりあげた。
口を強引にこじあけられる。太い指が侵入してきて、口腔内にたまった泥を掻き出した。
「ぼうず、息をしろ、息を!」
今度は背中から羽交い締めにされ、胸のあたりを強く圧迫された。少量の吐瀉物とともに土の塊が口から出てきた。
「げっ、げほっ」
急激に襲ってきた痛みに驚愕し、テッドは前屈みになって胸をかばった。心臓がはり裂けそうなほど跳ねあがる。息をしようにも、気管支になにかが詰まったような感じで、ひどく困難だ。
テッドは激しく咳をして、胃液を吐いた。
「あわてるな。ゆっくり、もう大丈夫だから、そう」
大きな手のひらが背中をさすったり叩いたりした。ぐらりと目眩がして、地面に激突しそうになったが、その直前に別のだれかが前から支えた。
たすけられたのだ。顔をあげた瞬間に、始末屋の三人が血の海に伏せているのが見えた。
三人の身体には大きな刀傷。致命傷かもしれない。
救出活動は背後で続けられていたが、そちらに目をやることはできなかった。酸欠で意識が朦朧とし、頭ががんがんと痛んだ。
白い服を着た男が駆けてきて、テッドの前にしゃがんで言った。
「間に合って、よかった。ぼくは、医者です。きみを痛めつけるようなことはしません。いい子ですから、おちついてぼくたちに従ってください。とりあえず、治療できるところにきみを運びます」
「ヤンス先生、事情聴取ができるようになったら、すぐに……」
「わかっています」と医者はたしなめた。「黒幕に逃げるスキを与えたくない、と、そういうことでしたね。けど、この子はいまとても傷ついているのですよ。せめてひと晩……それくらい、勘弁してあげてください」
「むう……だが」
「かわいそうに、こんなに小さいのに、殺されるところだったのですよ? 落ち着かせることが先決です。ともかく、医者として、いま会話を認めるわけにいきません」
不満の声がいくつかあがったが、無情を告げる絶叫がそれをさえぎった。
「この子も、ああ、そっちの子もダメだ。息を吹き返さない。くそっ、悪魔の仕業かよ! ばかやろうどもめ」
「……すぐにこの子を診療所へ、チェスター。この場は憲兵さんたちにまかせて、さあ」
医者の指示で、体格のいい男がテッドを抱きあげて馬車に乗せた。
みんな、死んだ。
たすけてと泣いていたあの男の子も死んだ。 なのに、死にたがっていた自分がまだ惨めに生きているはどういうわけだ。
背もたれで身体を支えることができず、座席にぐったりと横たわると、チェスターと呼ばれていた男が毛布をかけてくれた。
から回る思考はそこで途切れ、車輪が動くよりも先に泥のような眠りに脚をすくわれた。
安堵の眠りとはほど遠い、ざわつく闇に墜とされるような不安な感覚。
(……ちくしょう)
その感情の正体はわからない。何に対して抱いたのかもさだかではない。
憎しみ。意識を手放す直前にテッドが気づいたのは、それであった。
カップに半分以上も残ったまますっかり冷めてしまった紅茶に口をつけて、フレッド・ヤンスは渋いものを噛んだような顔をした。
「まったく、人という生き物はお金のためならばどこまでも残酷になれるのですね」
保護した孤児の人数に対して助成金の支払われる制度を悪用し、本来はちゃんとした施設や教会に委託する義務を怠って、邪魔になった子どもたちを町はずれの管理地に生き埋めにしていたという。そんな組織ぐるみの犯罪が市長の管轄下でのうのうと行われていたのだ。
官吏が計画的殺人に関与していたとなると、事は重大である。事件が明るみにさらされた以上、膿はすべて搾り尽くさなければならない。だがそれは医者である自分の仕事ではない。
少年を連れ帰ってからすでに三日になるが、彼はそのかんひとことも口をきいてくれなかった。過度のストレスによって言葉が阻害されている可能性もある。だが混乱している様子はなく、フレッドが接触をはかろうとすると鋭い眼で睨みつけた。
断固とした拒絶。無理もない。敵ではないと言い聞かせても、いまの少年にはそれを受けいれる義務も、すべもない。
すべては自分も含めた大人たちの責任なのだ。もっと早く摘発していれば、少年がこんな思いをすることもなかった。
あのあと白骨化した幼い遺体が近辺から百体もみつかったという。どうしてそんなことになる前に、勇気を出しただれかが告発しなかったのか。おかしいと気づいたその時点で、声をあげなかったのか。
「悔やんでもはじまらないですね、チェスター。ぼくたちは、いまできることだけを考えましょう」
「はい、先生」
チェスターは二十歳になったばかりの大男で、尊敬する医者よりひとまわりも若かった。
彼もまた孤児であり、けして恵まれた環境では育っていなかったが、素直な頑張り屋が功を奏して周囲からはかなり信頼されていた。薬剤関係と看護の知識を独学ではあるがひととおり身につけ、現在はヤンス医師の診療所を手伝っている。
「さっき、役所の人がまたきたんで適当にいいくるめて帰ってもらいました」
「面倒な役を回して申し訳ないですね、チェスター」
「いえ、おれっちの仕事ですから」
「だれが敵か味方か判然としないうちは、ご苦労ですがもうすこしがんばってください。気をつけないと、あの子の口封じをしようと狙っているやからが必ずいるはずです。なにしろ、たったひとりの生き残りですからねえ」
「ひとり……か。ちっ。先生、掘り出された子どもたち見ましたか。あんなにちっこくて、なんであんな残酷なやりかたで殺されなきゃいかんのですか。たまりませんよ。いったいどうなってるんですか、この世の中は」
「チェスター。だから、守ることができるのは、わたしたちだけです」
チェスターは鼻をすすった。医者の言うとおりであった。
汚い金を動かしていたのは一部のあくどい連中だけではない。その何倍もの、見て見ぬふりをした大物政治家がいるはず。どんな些細な罪であれ、責任を問われたら失職は免れない。どんな手を使ってでも事実の隠蔽をはかろうとするはずだ。
「ほんとうにいやな世の中です」
チェスターは無言で立ちあがった。憔悴しているフレッドに熱い紅茶をいれなおしてあげようと思ったのだ。
そのときかすかに、上階で床を踏みしめるぎしりという音がした。
真上の部屋には少年を閉じこめてある。不本意ではあるが、安全を考えて廊下から鍵をかけさせてもらった。よもや三階の窓から飛び降りるような真似はしないだろう。
「ようすを見てきます」
「うん。それから夕食はなにがたべたいか、きいておいてくれるといいな」
チェスターは笑いながら出て行った。
少年の抱く警戒心は、自分よりもチェスターへのほうが幾分ゆるいのをフレッドは知っていた。無理をして会話をせずとも、チェスターが少年の気持ちをやわらげてくれる。チェスターは心の病に関する知識にも長けていたし、なにより弱者の痛みを誰よりも理解した。
少しして、上からドスドスドスと断続的な音がした。軋みは部屋の端から端へとせわしなく移動した。
歩き回っているのか、はたまた揉みあっているのか。
内容は聞き取れないが、会話しているようでもあった。
「はて、喧嘩ですかね」
フレッドは心配になって、廊下に出てみた。すると階段の上から少年とチェスターがなにか言いあいながら下りてくるところだった。
「だから、もう迷惑はかけねえっていってんの。ほっといてくれりゃいいんだよ」
「やかましいわい、このわからずや。怪我も治ってねえくせに出ていくだって? なに考えてンだよ、ボケナスが。だいたいそのなりで、金もねえのにどうやって国境越えるつもりだった。よーく考えてから行動をおこせ、アホ」
「ボケだのアホだのガキだの。いっとくけどな、おれはおまえなんかよりずーっと物事ってやつをわきまえてんだよ」
「ああ? ちびのくせにハッタリだけは一人前だな」
「ちび、いうな」
「おもいっきしちびだろうが。歳いってみろ。九か、十か」
「あいにくだな。こう見えても四十だ」
「嘘をつけ。大ボラふくと口がひんまがっぞ」
新手の漫才だろうか。フレッドはぽかんとして、二人を交互に見た。掛け合いの荒さのわりには、どうも緊張感が感じられない。
「先生、このちびにガツンといってやってください。それから窓の下の植え込みは速攻でとっぱらっちまったほうがいいです。こいつ、飛び降りて逃げる気だったんすよ」
「だからやめたっていってるでしょーが。どう考えてもリスクが大きすぎらあ」
「ってゆーか、オレが発見しなけりゃ飛び降りてたんだろうが、ちびすけ!」
「ああ、そうかもな。命拾いしてほっとしたぜありがとな、でっけーくそガキ」
「ガキにくそガキなんていわれたかねえ」
「まあ、まあ」
フレッドは苦笑いをしてとめた。喧嘩の原因はだいたいわかったが、それよりも少年に話をする意欲が認められたことのほうが収穫であった。
少年はばつが悪そうにフレッドをちらりと見て、顔をそむけた。
「おなかがすいたのではないですか。ええと、名前がわからないと不便だな」
「テッド」
少年は眼をそらしたまま、ぶっきらぼうに言った。
「テッドくん、ですね。あらためて、よろしく。ぼくの名前はフレッドです。こっちのおにいさんはチェスター。呼びやすいように呼んでくれてかまわないですよ」
返事はなし。むっつりした顔で、テッドはあたりをじろじろと見回した。そういえばいままで病室に軟禁していたので、診療所のなかを歩き回るのははじめてなのだ。
「ここは町の人たちの病気や怪我を診るところです。市庁舎の近くには大きな病院もありますが、こちらのほうが落ち着いていいかと思って」
ふいにテッドがじろりとフレッドを見た。
「そういやあんた、医者っていってたよな」
「え? はい」
「じゃあ、診たの」
「……は?」
「おれのこと」
「診ました」
「なんか、気づいた」
「……右手の痣、ですか」
鳶色の瞳がまっすぐに医者を射すくめた。ぞっとするような冷たい光をそこに感じ、フレッドは背筋がひやりとした。
「包帯が巻いてありましたので、念のため調べさせてもらいました。ぼくは紋章のことは詳しくありませんのでなんともいえませんが」
「へえ。でもあれが紋章だって、わかるんだ、一応」
テッドは薄く笑ったような気がした。奇妙に大人びた顔だった。
フレッドはごくりと唾を呑みこんだ。
「火傷の痕でも、もとからあった痣でもなさそうでした。だとすると、考えられるのは何らかの紋章。そういう判断を、しました」
「賢いね、あんた。さすがお医者さん」
テッドは急に興味を失ったかのようにオレンジ色の髪の毛をくしゃくしゃとかきまわした。その手に真新しい包帯が巻いてある。意識を失っているときにフレッドが巻き直したのだ。
「ご丁寧に取り替えてくれたってことは、これが晒しちゃまずいものだって気づいたから……と思っちゃっていいわけかな」
ぼそりとつぶやいたテッドの言葉に、フレッドは無意識にうなずいた。どうも誘導されているような気がしてならない。
本来ならばまだ親に依存している年頃の子どもなのに、中身はまったく違うもののような気がする。考えすぎだろうか。
困惑を隠しきれないフレッドに気づき、テッドはニッと笑った。
「感謝します、よ? まあ、さっきもいったように迷惑はかけないつもりですけどね。たしかにいま出てくのは得策じゃない……ってなわけで」
スッと左手を差しだされて、フレッドは少年を見下ろした。
十歳くらいの姿をした、太陽を浴びた柑橘の色をした髪と、鳶色のやんちゃそうな瞳。そして、空恐ろしいまでの不確かさと、違和感。
握手を求める手をためらいがちに握りかえす。
ひやりと冷たかった。
なんだ―――この子は。
「お世話になります、フレッド先生」
少年の笑みにはなんの感情もこめられていなかった。その瞳は鉱物のように無機質に輝いて、医者を見据えた。
最終更新日:2006-09-27
