目安箱に投書した手紙を、無かったことにしたい。
昨夜はどうにかしてたんだ。あんなに浮かれるなんて。
叶うならば時を巻き戻して、昨日の俺に説教してやりたい。おい、お前。筆跡を残さないって大昔に誓ったじゃないか。忘れたのか? 署名までしやがって。後世に伝えられでもしたらどうするつもりだ。
さては酒を呑んだな? 馬鹿野郎。
そうなのだ。俺は酒を呑んだ。しかも度数のわりあい高いやつを。いや、聞いてくれ! 致し方なかったのだ。マグロにはこの酒が合うって軍師様が迫ってくるから。食中酒だからのめのめって。名門シルバーバーグの命令に逆らったら、この世界じゃ生きていけない。
酒も肴もいい塩梅に旨くて、そのあとの風呂もこれまた結構な湯加減で、少しばかり(かなり)調子に乗った。
どこぞから拝借してきたペンとインクが部屋のテーブルに残されているのを見て、寝ぼけた頭も一瞬で冷えたぞ。
やっちまった。
テーブルに突っ伏す一人反省会ののち、冷たい水で顔を洗って、俺は決意した。本日のミッション。アレを取り戻す。
散歩から自室に戻るふりをして、リーダーの部屋のある通路を探った。だめだ、人がいる。しかも目安箱の真ん前で、立ち止まって談笑してやがる。チッ。
少し時間を置いてみよう。その間に手紙が回収されませんように。
それよりも、投函しているところを誰かに見られたりはしていなかっただろうな。
気は急くが、階段を下りて施設街を一周。朝飯のいい匂いが漂っている。だがこちらは飯どころではない。
まんじゅう屋もいい湯気をあげている。そのへんに居そうだと踏んだリーダーの姿は、見当たらない。ひょっとしてまだ寝ているのだろうか。目安箱の中身はヤツが回収すると思うけれど、まさかすでに時遅しということは。
いやいやいや。ブンブンと首を振る。アレを突っ込んだのは真夜中だ。みんなが寝静まった頃を見計らって出しに行ったのだから、さっきと言えばついさっきだ。
店はぜんぶ素通りして、また階段を上がる。一つ上の階から、今度はサロンへ大回り。いつも酒場にたむろしているクズどもも、さすがにこんな朝っぱらからは――と思ったのだが、いた。真正のクズどもめ。
「おはよう、テッドさん! ひと勝負していかない?」
戦場ではハンマーをぶん回す博打娘が手を振ってくる。若干十三歳だかにしてここの総元締めだ。おはよう賭け事とは正気の沙汰ではない。だが無視するのも感じが悪いので、「また今度」と断る。
サロンを経由したのは失敗だった。人の目がありすぎる。こいつらは暇なのか? それとも、まさかとは思うが、博打や飲酒に従事するためにここに寝泊まりしているのか?
カウンターの中にいるふくよかな美人がこっちに気づいた。バーの女将のルイーズさんだ。俺はなんとなくではあるが、この人が苦手だ。
「早いね、テッドさん。迎え酒かしら?」
「……は?」
「ふふふ、でも駄目よ。あれは迷信。身体によくないの。二日酔いに効く特製のジュースを作ってあげるからお座りなさいな」
なぜ俺が昨夜、深酒したことを知っている? いったいどこからそんな、最高機密とも言える情報を。
やはりこのルイーズという女性、只者ではない。とんでもない深みまで見透かされているような気がする。席についたらもっとヤバいことになる予感がする。
「いっ、いいです、酒、ほとんど残ってないんで。じゃ!」
あたふたと断って走るように逃げる。背後で「フフフ、またね」と聞こえた。
吹き抜けになっている階段を足早に駆け上がる。回廊からちらりとバーを見ると、ルイーズさんはまだ俺を目で追っていた。とてつもなく気まずい。
回廊を右回りか左回りに半周すると、第一甲板に出ることができる。左のほうが若干距離も短いのだが、慌てていたので右へ突撃してしまった。
大扉がサロンの賑やかな声を遮断し、俺はふうと息を吐いた。最初から大人しく自室で待機するか、甲板で海でも見ていればよかった。
通路には誰もいない。しめた。
そろそろと目安箱へ近づく。どこかに取り出し口があるはずだ。
箱を調べて、俺は悪態をついた。なんで鍵がついてんだよ! 盗むヤツなんていねえって(俺だ)!
手で箱を持って振ってみる。カラカラと音がする。よかった、まだ回収されてはいない。
こうなったら直接リーダーに理由を話して、返してもらうしかない。間違えました、とか言い訳すればよい。それもまたなんだかみっともないが、アレを見られるよりはましだ。アレこそが、俺の人生において最大級の汚点である。何としてでも葬り去らなくては。
ところでヤツは部屋にいるのだろうか。
「ラズロ、いるか」
とんとんとん。ドアをノックする。
「おい、ラズロ」
返事も気配もない。まさかまた、中でぶっ倒れているのではなかろうか。
ひやりとして、声がうわずった。
「おーい」
その時だった。背後で、
「ラズロは釣りに行ったよ」
「わっ!」
俺は心臓から口がはみ出るかと思った。いや、落ち着け。それじゃ化け物だ。口から心臓がはみ出るかと思った。
いつの間にか軍師エレノアが腕組みをして、そこに立っていた。俺ということが、軍師様の部屋もこの通路にあることを失念していた。
「ゆうべのは、うまかっただろう」
「はっ、はい!」
「いい返事だ」
エレノアさんはおそらく、俺の正体をある程度は察している。年齢が見せかけであることも。しかし、軍師として、ていうか大人として、子供(の身体)に酒を呑ませるのはアウトだと思う。
アルコール依存症が感染る前にこの船から逃げ出さないと!
などとぐるぐる考えていたら、えれべーたがチーンと鳴って止まった。
扉が開き、降りてきたのはラズロだ。
「テッド! 探してたのに」
はあ? それはこちらのセリフだ。
どうせまた、意味不明な任務を押しつけるつもりなんだろう。無人島でカニを捕獲しろとか、遺跡の地下にもぐれだとか。
「悪いが、俺は今日は非番だ」
「違うよ。大物が釣れたんだ! いま調理場に届けてきたから、テッドに知らせようと思って部屋に行ったけど、いないし。さあ、一緒に食べに行こう!」
俺は青ざめた。待て。
ラズロはとどめの一言を放つ。
「な? 群島のマグロは最高だったろ!」
時遅しどころか、最初から手遅れ。
エレノアさんがにやりと笑い、酒焼けした声で言った。
「やれやれ、また秘蔵のカナカンを出さなきゃいけないようだね」
2023-11-17 初出
