トラン共和国の首都として生まれ変わったグレッグミンスターの街は、かつて赤月帝国に在った時代に『黄金の都』と呼ばれたその名をいまも誇るように、朗々とナナオを招きいれた。
折り重なる建築様式の美しさに、ナナオは歓声をあげた。ハイランドの田舎町キャロの出身であるナナオは、ハイランド王国の皇都ルルノイエの荘厳さにも舌を巻いたものであるが、グレッグミンスターにはそれとはまた違った重厚さと歴史を感じた。わずか三年前に革命の舞台となったばかりなのに、街は活気と人々の笑い声にあふれ、戦火の面影はどこにもなかった。
ナナオ一行の案内役についた国境警備隊長のバルカスは、およそ役人らしくない豪放な男であったが、赤月時代に敵対関係にあった都市同盟のリーダーに好意的であった。為政者が交替したことで隣国へのわだかまりも薄れたのであろう。幼さの残るナナオが都市同盟を率いていることを知り、バルカスは懐かしげにうなずいた。
「トラン解放戦争の英雄も、おまえくらいの歳だったんだぞ」
その名はもう何度めだろう。彼がどんなにすごい人物だったかを、グレッグミンスターの人々は唱和した。万の民を率いて皇帝に弓を引き、つねに自らが先陣を切って戦いを挑んでいったという、英雄ルーファス・マクドール。
城中でレパント初代大統領と会見した際にも、英雄の物語をとくと聞かされた。ナナオは所在をたずねるふりをして、探りをいれてみた。内緒ではあるが、グレッグミンスターを訪れる前にナナオは偶然にも国境の小さな町バナーで、かの英雄と邂逅していたのだ。
予想したとおり、レパント大統領は言葉を濁した。
「ウム……ここには、おらぬ。民もわたしも、あれに大統領の座を望んでおるのだが……なかなかに頑固者でな。素直に首を縦に振ったらよいものを……ああ、こんなことを言ったらまた、若い者はひとつところにとどまるものではないと、妻が叱る」
野獣のような外見の大統領にまったくそぐわない絶世の美女が、傍らでくすりと笑った。例の放蕩息子はこの母親似なのであろう。よかったね、とナナオはこっそり思った。
同盟を確約し、城をあとにしたナナオたちは公式訪問の例に倣い、グレッグミンスターを観光することにした。英雄を排出した将軍家が贔屓にしていたという宿屋に荷物を置き、庶民にまぎれて石畳の街に足をふみいれた。
幾筋もつらなる小路。人々の生活を支えるたくさんの石段。のんびりとひなたぼっこに興じる猫。せわしなく餌をついばむ鳩。上を見あげると抜けるような青空にはためく洗濯物の列。しゃぼん玉で遊ぶ子どもたち。
「迷子になりなさるなよ。長年住んだ者でも道を間違えますからな。グレッグミンスターは城を固める城下町でありましたから、小路が網の目の迷路になっております」
「かくれんぼしたら、愉しそうだね」
バルカスはがははと笑った。まさしくこの少年は戦争よりかくれんぼのほうが似合う。
広い石畳の広場に出た。ナナオは中央の巨大噴水に目を奪われた。リズムを奏でて刻々と様相を変える水の饗宴は、平和を謳っているように見えた。噴水の中央でほほえみをたたえる女神の像は、黄金でできていた。
「この広場の近くに英雄の家があります。お立ち寄りになりますかな?」
「え、いいの?」
「構いませんとも。ちょうど喉も渇いたところだ」
ナナオはうきうきとした気分になってバルカスのあとに続いた。将軍家というからにはきっと立派な建物にちがいない。トランの人々がどのような暮らしをしているかのも興味があった。
「ほら、そこです」
「うわっ……でっかい!」
まさしくお屋敷と呼ぶに相応しい建物であった。瀟洒な白壁。幾重にも張り出した異国風の出窓。英雄というのは途方もないお坊ちゃんだったらしい。
屋敷の周辺は一面、純白の花で覆われていた。グレッグミンスターは街のそこらかしこに花がある。聞くところによると花将軍と呼ばれる官僚のひとりが景観遺産として整備しているからだとか。
バルカスはドアチャイムを鳴らすと遠慮することもなく中へ入っていった。玄関で少し待つように一行に告げると、奥の台所らしき部屋のドアを開けた。
「よう! 久しぶりだな、クレオ」
いい匂いがただよってくる。ナナオは胃袋がギュウと縮むのを悟られまいとあわてた。
「そういえばお腹がすきましたね、ナナオどの」
補佐役として同行したフリード・ヤマモトがにこりと笑う。
「バルカス殿! 連絡もくれずにいきなりじゃないか。知っていたらご馳走をつくっていたのに」
「いや、そこにクレオのシチューの匂いがする」
「これは……だ、ダメだよ。どうしてもグレミオのようにうまくいかなくって」
バルカスは笑って否定した。「いや、料理は技術ではなくて心だ、クレオ。どうだい、腹ぺこな連中にたらふく食わせてやってくれないかな」
ナナオたちは顔を見合わせてしあわせそうに笑った。
クレオという女性の招きで食堂に座ったナナオたちは、あたたかな昼食を堪能した。クレオはしきりに謙遜していたが、どの料理もみな家庭的でおいしかった。特にシチューは絶品であった。ナナオは無遠慮に何度もおかわりをした。
「喜んでいただけて、よかったです」
男勝りなしゃべり方をするクレオは、ときどきドキッとするほど女らしい表情を見せた。姉のナナミも少しは見習えばいいのに、とナナオは思った。
「すばらしかったです。ごちそうさまでした」
「どういたしまして。わたしも嬉しかったです。食卓を大勢で囲むのはほんとうに久しぶりでしたから。なんだか、昔を思い出してしまいました」
「そういえば、とても広いテーブルですよね」
「この家は六人家族だったんです」
クレオはふと寂しげに首を傾けた。「いまは、わたしひとりで家を守っています」
その先は訊いてはいけないような気がした。しかしバルカスが勝手に話を続けた。
「坊ちゃんは、たまには帰ってくるのか」
「いえ、滅多には」
「そうか……。まあ、時間がかかるんだろうなあ。この家にゃ、思い出すモンがいっぱいあるんだろうしな。おれたちゃ、焦らねえで待てということさ」
「そうですね」とクレオはうなずいた。「わたしも、ここでずっと坊ちゃんの帰りを待ちます。みんなが帰ってきて家に灯りがなかったら、寂しいでしょうしね」
「ああ、そのとおりだ」
「家族が帰る家は、ここですから」
クレオの言葉が、ナナオの耳から離れなかった。
ふたりのはからいで、その夜はマクドール家に宿を変えることにした。客用の個室は少ないから、と申し訳なさそうにクレオは謝ったが、ナナオは狭いその部屋が気に入った。
壁に設えてある棚に小さな肖像画が飾ってあった。蒼灰色の衣服をまとい、見る者に永遠の笑顔をふりまくひとりの少年。
ナナオはバナーの村で会った、ルーファス・マクドールのことを思い出していた。
人々が声をそろえて讃える英雄。
艱難辛苦をものともせず、強大な帝国に戦いを挑んだ伝説の少年。
彼にその面影は微塵もなかった。
なにもかも絶望したような、虚ろな瞳をもっていた。疲れたようにナナオを見ると、顔をそむけて背中を震わせた。激しくなった動悸を抑えるかのように、革手袋に包まれた手を胸にきつくあてた。
宿屋の少女、エリがやさしく背中をさすると、引きつったように呼吸をした。
どこか病んでいるのだろうか、とナナオは思った。
女将がナナオをそっと引き離した。
「ごめんね。そっとしておいてあげて」
ともに戦ってください、という言葉をナナオは呑みこんだ。
ルーファスがグレッグミンスターに帰りたがらない理由は、尊重しなければいけない。
兎にも角にもトラン共和国との同盟はうまくいった。英雄が仲間に加わろうが加わるまいが、ナナオは先に進むしかない。たとえその先に待つものが親友との決別であったとしても、前へ進むしか道はない。
ナナオは肖像画の少年にもう一度目をやった。この人はルーファスの親友かな、と思った。
とびっきりの笑顔。
おまえも、笑えよ、と。
ナナオは夜の静けさのなかで、うん、とつぶやいた。
延々とありがとうございました。
勢いのみででっちあげた連載でしたので、いずれ再考するかも知れません。
とりあえず完結です。おつかれさまでした。
執筆BGM:練習曲第3番ホ長調op.10-3「別れの曲」 Fryderyk Franciszek Chopin
2005-11-17
