なんという寂しい光景なのだろう。
沈みかけた太陽も心なしか寒々としている。ぐるりをを囲むのは果てのない荒れ野。
悄然とした大地にそっと根をおろした小さな集落は、ルーファスたちを歓迎してはいなかった。
「立ち去れって言われてもなあ。荒野に身ひとつで放り出すつもりかよ、あのじじい」
ビクトールの軽快な悪態もけして冗談で発せられたものではない。
ここがどこなのか、なぜこんなところで途方に暮れなくてはいけないのか。その答えを薄々感づきはじめた者たちもいたが、けして口にはしなかった。クレオはしきりにルーファスの様子を気にしていた。
経緯をまるで知らずぶつぶつ文句を垂れ流し続けるビクトールはともかく、あれからすっかり黙りこくってしまったルーファスはおそらく悟ったのであろう。
彼の世にも似た、現実離れした光景にその出来事はあまりにも相応しい気がした。もっともわかりやすい言葉でたとえるなら、”ありえない”。
ルーファスの瞳は焦点を結んでいなかった。当然といえば当然である。受け入れなさいと送り出されてきたからといって、簡単に受け入れられるほど事は平坦ではなかった。
何かの間違いと思いたい。それなのに非現実は残酷なほど現実。クレオにとっても同様だった。
『おにいちゃんたち、だれ?』
排他的な村人をかきわけて、抑えきれない好奇心に無邪気な瞳を輝かせながら、笑いかけてきた男の子がいた。
そのとき、ルーファスのまわりの時間が、止った。
赭色の髪。翳らぬ幼い瞳。
まっすぐにルーファスを見つめる邪気なき心。
『え、なーに? ぼくの顔になにかついてる?』
ルーファスは。
彷徨うことばを必死に掴んで名を呼んだ。
テ、ッ、ド。
『えー、どうしてぼくの名前知ってるの。ひょっとしておにいちゃんが、アレをとりに来たわるいひとなの?』
違うよ。ルーファスの表情が少しずつ崩れた。ちがうんだ。ぼくはきみを、ずっとずっと待っていたんだ。
『ないてるの?』
テッド、どうしてきみはこんな小さい姿で、ぼくの前に現れたんだ? あの洞窟に眠っていた、人の言葉を操る剣は、いったいぼくになにをしたんだ?
ルーファスは混乱する思いをなにひとつ吐き出すことができず、小さいテッドをぎゅっと抱きしめた。
血相を変えて割り込んできた老人に男の子が引きずられていっても、ルーファスは彼の消えた先をぼんやりと見ながら立ち尽くしていた。
”ありえない”ことではあるが。ひとつだけ仮説を立てることができる。
ここは、ルーファスの世界とは時間の流れが違う。
おそらくは、はるか遠い昔。
テッドの語っていた、300年を遡る過去。
ぼくは、これを─────受け入れるために来たのだ。
「……坊ちゃん!」
クレオが”彼”に気づいて声をあげた。息を弾ませながらこちらに走ってくる。
「はあ、はあ、はあ」
「テッドくん?」
小さなテッドはニイッと笑って白い歯を剥き出した。
「どうしたの?」
クレオが少年の目線に並ぶように膝を曲げる。いったいこのテッドは幾つくらいなのだろうか。背丈も話し方も、記憶の中の彼よりだいぶ幼い。
「えへへ、抜け出してきちゃった。おじいちゃん、ガンコモノのわからずやだから」
「おじいちゃん……って、さっきの村長さん?」
「たしかに頑固者のクソ分からず屋だったな」とビクトール。少しは歯に衣を着せればよいものを。
「ウン。おじいちゃん、村長なんだ。……ずっとずっと前から」
テッドは近くにある丸みを帯びた石に、よいしょ、と座った。
足をぶらぶらさせてルーファスを下からのぞき見る。
「ねえ、おにいちゃんたち、どこから来たの?」
「どこから……なんだろう」
「変なの。ぼく、外の人を見たの生まれてはじめてだよ。どうしてここに来られたの? おにいちゃんたち、ナニモノ? ほんとうにアレをとりに来た人たちじゃないの?」
矢継ぎ早の質問にルーファスはたじたじとなった。答えようがない。ルーファス自身にもわからないことだらけなのだ。
テッドはお構いなしにおしゃべりを続けた。
「外の人はここに来られるわけがないんだ。ぼくが生まれてからはいちども来なかったよ。出て行った人はいたけど、戻ってこられなかった。おにいちゃんたちは、悪い人じゃなさそうだね。ねえ、なにをしにここに来たの?」
今度はルーファスに疑問が芽生えた。テッドへの返答は後回しにして、話の矛先を変える。
「ここは、どこの国の、なんていう村なんだい?」
「……国? 村?」
「村の名前だよ」
「なまえ……?」
テッドは奇妙な顔をした。少しだけ考えて、口にする。「なまえってどういうことかわからないよ。おじいちゃんは”根の村”って言うときがあるけど、そういうこと?」
「根の……村」
聞いたことがない。しかもテッドの言うには、外部からの出入りがまったくない村。どういうことだろう。
ゾクリとした。周りの風景が急に現実感を帯びる。四方どちらを向いても果てのない荒れ野。
ルーファスは軽い目眩を感じて、点在する石のひとつにテッドを真似て腰をおろした。
テッドはその石を見て、言った。
「それはね、おかあさんのお墓」
ルーファスは弾かれたように立ちあがった。
「お墓……?」
みなその台詞に驚き、あたりを見回した。距離を置いて存在する、カドのとれた丸い石。墓石と呼ぶにはあまりにも粗末で、誰もそのことに気づかなかった。
テッドはあたりまえのように静かに語った。「ここにあるのはみんなお墓。おにいちゃんが座ったのが、ぼくのおかあさんのお墓。でもね、おかあさんはこの土の下にはたぶん、いないと思うんだ」
「……え?」
「だってお墓は、死んだ人のためじゃなく、まだ生きてる人のためにあるんでしょ?」
意味を図りかねたが、テッドのおしゃべりは止らなかった。「ぼく、死んでもお墓いらないや。だってお墓があると、思い出すんだもん。お墓がなかったら、忘れることができるでしょ」
「……テッド……くん」
声を詰まらせたのはクレオだった。無邪気に自分の死を語るこの少年はもう、墓を持つこともなく逝ってしまったのだ。
「これは麦」
不意にテッドは墓の傍の草を指した。「パンをつくるの。挽いて、焼くんだ」
「麦ィ? ワラじゃねーのか」
ビクトールが唸った。しかしよくよく見ると、確かにそれらしい穂がついている。だがこのような麦の栽培の仕方は見たことがない。墓場に、麦。それは雑草と絡み合って風に揺れていた。
「みんな食べてるよ。食べないと生きられないじゃない」
「墓場で麦育てて食うってのかよ!」
「なにか、へん? だって、みんなパンを食べて生きるよ。死んだら、ここに埋められる。なにがへんなの?」
きょとんとした表情で、本気でびっくりしていた。とんでもない思想であることは疑わない。だがルーファスは、テッドの言い分が至極もっともらしい気がした。
ここの人々の死生観は、おそらくは真理に近いのだ。
麦を刈り取るのは死神の鎌。麦は地面から養分を吸い、人の命へと変換される。命には必ず終わりがあり、終えることで地面に還される。人の身体は養分となり、麦に与えられる。
永遠の循環。
生と死の真理。
ルーファスは右手を握りしめた。そうか。ここは生と死の紋章を鎮る村なのか。
300年前、この村が焼かれたのだ。宮廷魔術師、ウィンディの悪意によって。
ハッとして、ルーファスはテッドの右手をとった。柔らかい手の甲に、彼の紋章は焼きついていなかった。
「ど、どうしたの……?」
テッドは驚いて手を引っ込めた。ぱちぱちと瞬きをし、クレオに目で助けを求める。こういうときは女性のほうが、知らない人でも頼りになるらしい。
「なんでもないよ。それよりテッドくん、アレをとりに来る人がいるって言ってたわよね」
「ウン」テッドは肯いた。「みんな、ものすごく怖がってる。ずっとずっと護ってきたのに、欲しがるやつがいて、狙ってるんだって。アレを渡したら、たいへんなことになっちゃうんだ。だからぜったいにぜったいに渡しちゃいけないって、おじいちゃんが言ってた」
「なんだいさっきから、その”アレ”ってのは」
事情を知らないというのは幸せなことである。あくまでマイペースなビクトールにクレオは舌打ちした。刺激してはいけないというのに。
「アレは、アレだ。教えない」
テッドはぷいっとそっぽを向いた。へそを曲げたらしい。
あさってのほうを向いたテッドは、だが次の瞬間、電気が走ったように立ちあがった。
「ヤバ! もう子の星が見えてるじゃん。おじいちゃんに叱られるよ。ぼく帰らなくちゃ。おにいちゃんたちはどうするの」
ルーファスはクレオと顔を見合わせた。
「どうするって言われても……どうしようか」
「せっかく村があるってのに、野宿ってのはつれねえよなあ」
下心満々のビクトールがちらっとテッドを見た。
「そうだよね……わかった、ぼく、おじいちゃんを説得してみるよ。おにいちゃんたち、悪い人じゃなさそうだもの」
「ありがてえ。最初からそうしてくれりゃいいんだよ」
「クマさんみたいなおじちゃん、ついてきなよ」
「ああ? 誰がクマだって?」
ビクトールの拳骨をするりとかわして、小さなテッドは麦の穂の揺れるなかをスキップしていった。
子テッドですよ奥さん、子テッド!(いいから)
2005-11-13
