その日の空気は澄んでいて、はるか北東の水平線上に長く延びる赤月帝国の長城を望めた。
その向こうには赤月帝国の首都、グレッグミンスターがある。夜になると帝都の灯りが空に映え、トラン湖からもその存在の大きさを確かめることができる。
だが、いまそこはあまりにも遠い。
湖城のテラスできらきら光る湖を眺めていたクレオは、ほうっと深く息を吐いた。
めまぐるしく状況が動き、半ば引きずられるように巡り逢ってしまった、解放軍という名の新たな生き方。
戸惑いがなかったわけではない。自信なんていうものはいつも曖昧だった。悩む夜もあった。
どうしてこんなことになったのか、という思いは口にこそしないが、いつもクレオの胸の内にあった。
昨日まで護ってきたものを明日からは敵にして戦う。真実を知れば知るほど、世界が自分の享受できる限界を超えて動いていることを思い知らされ、クレオは打ちのめされた。
しかし、疲れた、ということばは使いたくない。
無理なのです、とは言えるはずもない。
率いるルーファスがけして諦めない限り、クレオは地の果てまでもついていく決心をかためていた。ルーファスには主従という立場を超えた信頼があった。
坊ちゃんは、大きくなった。
オデッサの遺志を継いだからか。あの不思議な占星術師が予言したとおりに、ルーファスは目に光を宿した。清廉で、よどみない光。
天魁星の光。
占星術師はクレオにも告げた。『あなたは天魁星を護る人。運命の星々たちを満たす輝き。あなたの信ずる道を、お進みなさい……』
わたしの信じる道。
わたしはわたしの目で見、わたしの耳で聞いたことを信じたい。
だから偵察の持ち帰ったうわさ話をルーファスの耳に入れるつもりはない。
グレッグミンスターで、テッドの処刑が執り行われたらしいこと。
驚きはなかった。むしろ、ずいぶん時間をかけたじゃないか、と思う方が先だった。坊ちゃんも覚悟はしているだろう。ならば伝える必要もない。
悲しいのに涙は出なかった。弟みたいな少年をこんなかたちで喪うなんて。
つらいときは、いつもパーンがそばにいてくれた。黙って肩に手を置いてくれた。だけど、わたしはいまパーンの目を見ることができない。
おそらくは彼の耳にも噂は届いているはず。どれほど悔やみ、自らを責めているか、そばにいなくてもわかる。
なのにわたしたちは慰めあえない。
湖を渡ってきた風がさらさらとクレオの髪を揺らした。大丈夫だ、泣かない。
泣くもんですか。
これは風が運んできた湖のしずく。
もう少しだけ。もう少しだけ乾かしたら、笑顔で坊ちゃんを迎えましょう。
イレギュラー。
2005-11-12
