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カテゴリー: 小連作

短めの連続した作品

クライム9―帰巣

 シンダル族を代表とする古代人は神秘文字を魔除けにしていた。コボルトの行商人から半ば押し売りされたその小さなペンダントにも、これ見よがしに判読不能な不可解文字が刻まれていた。
 文字の示す意味はともかく、琥珀には太古の時間が封じこめられているという口のうまいコボルトの与太話にはついうっかり魅せられた。その気になったあげく殊勝気をだして肌身離さず持ち歩いていたわけで、ある意味右手の相棒に次ぐつきあいの長さだった。
 文字の存在などすっかり忘れ去ったころ、ふとした機会にその意味を知るはめになった。
 『郷愁』
 執着心が一気に醒めたのは語るまでもない。
 まさかそこまで極端に、自分と縁遠い言葉だったとは。
 言葉自体はべつに否定も肯定もしない。古代人にとっては美しい響きのひとつなのだろう。しかし自分にはまったく無用の思想である。喪ったものをいつまでも懐かしんでいては、この旅は頓挫してしまうからだ。
 ペンダントは気がついたらなくなっていた。捨てた記憶はどこにもないからおそらくうっかり落としたのだろう。べつに惜しいとも思わない。知らずに身につけていた魔除けの意味を笑い話にするくらいで、ペンダントにまつわる物語はそこで終了したはずだった。
 ところがこの世のなかは凡て冗談で成りたっている。
 着いたばかりの町でとりあえず居座れそうな場所を探してぶらぶらしていたら、占星術の店の軒先で黒いローブを着たおばあさんが渾天儀をさわっていた。客の男になにか占っている最中らしい。めずらしいので立ち止まってながめていたら、おばあさんと目があった。
 観客がいると気が散るのかもしれない。邪魔しては悪いので立ち去ろうとしたとき、呼びとめられた。
「ぼうや、お待ち」
 からまれて占いの押し売りでもされたら厄介だ。その気はないよと、迷惑そうな顔を向けてみる。
 おばあさんはこちらのひねくれた態度がおかしかったのか、しわくちゃの顔をいっそうくちゃくちゃにして、にしゃっと笑った。
「待っていたのよ。これをね、返そうと思ってねえ」
 そう言っておばあさんはフードを脱ぎ、首に下げていたペンダントをはずした。
 あっ、と思った。
 見覚えのある琥珀色。
 そんなはずはない。あれをなくしたのはここからだいぶ遠い地でのことだし、第一おばあさんとも初対面のはず。なのになぜ、これほどの距離を経てあのペンダントがいまここにあるのだろう。
「ぼうやのよね?」
 半信半疑で手にとって、息を呑んだ。まちがいない。  同じだ。琥珀の模様も、刻まれた文字も、こまかな傷の位置も、すべて。
「どうして」
「つながっているものはね、めぐりめぐって、もとへ帰るものだから」
「……帰る?」
「過去、現在、未来もそうしてつながっているの。未来は過去へ帰るものよ、ぼうや」
 あまりの不可思議さにその場をどうとりつくろったのか憶えてはいないけれど、訳知り顔なおばあさんの語り口はいつまでも心にこびりついて離れなかった。
 巡り巡る。ある種の呪文にも思えるそのうさんくさい思想を反芻して、くすりと笑う。
 たまには、それも有りかもしれない。
 あれからペンダントはまたどこかへいってしまった。まあいい。次に戻ってきたら、おばあさんの戯れ言も少しは信じてみようという気にもなる。
 それまで憶えていればの話だが。

クライム9