現場保存は証拠保全のためにも重要である。殺人事件であった場合、犯人の指紋や用いられた凶器、足跡や衣類の繊維などの遺留品が犯行の現場に残されている可能性は高い。
たとえばそこで永眠していらっしゃる仏様であるが、後頭部を鈍器のようなもので殴られた撲殺であることは容易に想像がつく。誰がどう見ても不慮の事故ではなく、事件だ。それも絵に描いたような殺人事件。
パジャマ姿の男は、パジャマとお揃いのコットン帽子の上からぼりぼりと頭を掻いた。気の弱そうな男だが死体を目の前にしてけっこうな度胸である。だんなさまの不幸に接しているという雰囲気ではない。
「……まあ、自業自得ですからねえ。しかし、どうしたものでしょうか」
不埒なことをつぶやくと男はハッとしたようにこちらを見た。
「あなた方、ひょっとしてオラーク海運の人?」
「……へ?」
ナルクルの瞳孔がきゅんと細まった。そのいやーな名前には聞き覚えがある。
テッドが答えた。
「違うけど。それにオラーク海運は、潰れたんじゃないの」
ハーヴェイが補足する。
「そうそう。親玉ならとっくに投降していまはおれたちに協力してるしな。ああ、おれたちゃ武器商人じゃないぜ。言っとくけど」
「つ、潰れた?」
男は狼狽したようだった。
「で、では、この方は? オラーク海運から派遣されてきた偉い人というのは」と死体を指さす。
「なんでおれたちに訊くんだよ」とハーヴェイ。「潰れたといっても親会社はピンピンしてやがるから、そっちの関係じゃねーのか。親会社はヤバいぜ。クレイ商会っていってな……」
「ク、ク、クレイ商会!?」
男は蒼白になって泡を吹かんばかりの勢いで白目を剥いた。
「アレ、知ってんの?」
オラーク海運をはじめ、表の世界で活躍している幾多の交易商は多くの者が知っている。だが裏でそれらを統括するクレイ商会は完全に闇の商人だ。その存在を知るものは多くないはずだ。
「知ってるも、なにも」
ついにわなわなと震えだした。「この島はつい先日、クレイ商会に売却されたんです!」
「……はい?」
三人が唱和した。
「ああもう! うまくクレイ商会と取引するからなんてぬかしやがって、やっぱりグルだったんですよ! 島のためだなんてまこと嘘八百! せっかく我慢して好き勝手させてあげたのに、こんにゃろ、こんにゃろ、こんにゃろ!」
「あーーーっ! お、おじさん現場保存!」
仏に八つ当たりしようとした男を三人は飛びかかって押さえつけた。
話が少しばかり見えてきた。
いまの状況をふまえ、要点をまとめると、こうだ。
ひとつ。死体はクレイ商会の手先である。
ふたつ。クレイ商会は詐欺的手段で島を乗っ取った。
みっつ。死体は島の人間にあまり好かれていなかったらしい。
「島っていったけど、ここはどこだ?」
賢いぞナルクル。いまいちばんの疑問はそれだ。
島というからには群島の中だとは思うが、クレイ商会がどこかを買い取ったという話は聞いていない。
男はようやく抵抗を諦めると、訝しむように言った。
「どこだって……ここにいるくせに、おわかりにならないのですか」
「そ、それはホレ、その……」
必死の弁解が通じたのかどうかは定かではないが、とりあえず三人に対する警戒の色はなくなった。男は血のついているソファを客人に勧めると、自分は一人がけのイスに腰を下ろした。
どうやらここは群島のはるか南西に位置する小さな火山島らしい。島の名前はバルバラ島。ぜんぜん、まったく、微塵も聞いたことがない。
島の外周はわずかに7キロ。海に面した場所はほぼすべてが断崖絶壁で、島の南側にある狭い港の周辺だけが船を係留できる平坦地になっている。このような地形になったのは島の中央に位置する火山バルバラが、いまなお活発に溶岩を噴いているかららしい。
そういえばさっきから気のせいか硫黄の匂いがする。
群島諸国に温泉が多数存在するのは、海の底に火山脈が横たわっているせいである。しかし噴火活動はさほど活発ではなく、とくに人の多く住む島はそこがもと火山の噴火でできたということを知らぬ者がほとんどだった。
バルバラ山は絶えず溶岩を吐き出しているが、住民に危害を与えるというほどではなかった。地形的に見ても島の南側に溶岩が流れることはまずない。
島は戸数15、住民50名。
典型的な過疎の島だ。
なにで食っているのか、と訊いたら、マグロ漁、と答えた。
テッドくん、目を輝かせなくてもよろしい。
なんの戦略的価値もない小島であることは、疑う余地がなかった。南に拠点を置き攻め入るにしても、こんな使いづらい島よりももっと適当な島はいくらでもある。グレアム・クレイ、血迷ったか?
「この島には聖なる温泉があるからです!」
またおかしなことを主張しはじめましたぜ。
足元に仏様をころがしたまま、三人は男のいれてくれたお茶を一斉に飲んだ。
ひと呼吸だけ、心を落ち着かせる余裕を得るため。
「で、聖なる温泉ってのは、なんだい」
「バルバラの火の神に祝福された温泉でございます。この島には海岸沿いに27の真の温泉があるのでございます」
「おいおい」とテッドが呆れた。
真面目に聞く者はもちろんいなかった。
「で、クレイ商会はここを保養施設か健康ランドにしようとしたんだな」
ハーヴェイの冗談に男はきらきらと向き直った。ひょっとしたらナルシーの血が混ざっているのかもしれない。
「おお、おお! そのとおりです。なんと嘆かわしい。わたくしたちは何度もだんなさまに忠告申しあげました。島を観光地にするなんて、バルバラの神がお怒りになりますと。だんなさまはお笑いになって、わたしは島を売り物にするのではなく富を与えに来たのだよ、とおっしゃられました。もちろんわたくしどもは歓びましたとも。マグロ漁に依存して細々と命をつなぐだけの生活はもうたくさんだったのですから」
「マグロ、いいのに」とぼそりつぶやいたのはご存じテッド。
「島民に好意的だっただんなさまは、ですが徐々にお変わりになられました。27の真の温泉は我々島民にとって巡礼地ともよべる聖なる場所です。それを観光資源として有効利用したいと申し出てきたクレイ商会に、だんなさまは拒否をなさるどころか取引をはじめられたのです。あれほど、烈火の神罰がくだりますと申しあげましたのに」
「で、これが神罰?」
ナルクルが爪で指さす先には撲殺死体。
「バルバラ神の罰に決まっています!」
「……いや、どうみてもこりゃ殺……」
「だまらっしゃい!」
同調するかのように野外でもドーンと溶岩を噴く音が聞こえた。
なにげなく死体に目をやったテッドが『それ』に気づいた。立てられた人差し指の先に血で描かれた、なにかの意図を感じさせる謎のマーク。テッドは立ちあがり、顎に革手袋の右手をあててまじまじとそれを見た。
「これって……ダイイング・メッセージ?」
楕円に重なるように、三本のくねくね。
「なんて、禍々しい形なんだろう……この印に事件の真相が隠されているってのか……?」
ナルクルが叫んだ。
「テッド! これはな、温泉マークっていうんだよっ!」
シーンと静まりかえる室内。
気まずい空気が支配した。
ハーヴェイが引きつった声を出した。「は、はは、このおっさん、いまわの際まで温泉に執着してやがった、な、ははは」
ひょっとしてオラーク海運を名乗る回し者さん、純粋な温泉好き?
「いえ、ちがいます」
パジャマ男がいやに神妙な声で言った。「だんなさまは皮膚がお弱いうえに高血圧でございましたから、温泉にはおそらくただの一度も足を運ばれなかったと記憶しております。それはそうと、この印は……」
真剣なまなざしをテッドに向けた。ちょっと慌てるテッドくん。
「第16番目の真の温泉、成人病と老化防止を司る温泉の印でございます」
左様で御座いますか。
とんだダイイング・メッセージで御座います。
気のせいかカラスの啼く声がした。
そろそろ本気でお家へ帰りたくなってきた三人組であった。
「じ、じゃあ、この印に事件のカギが隠されているってこともありえるね」
もはや関わりあいになりたくないと思いつつ、つい口走ってしまうテッド。ハーヴェイもうっかり賛同する。
「そ、その16番目の温泉とやらに犯人と結びつくカギがあるってことじゃねーのかい。そこに行ったらあんがい犯人がひょっこり現れたりして、な」
「わたくしは16番目の真の温泉が罰を下されたのだと思いますがね……でもそこへ行きたいのでしたらわたくしもお供いたしますよ。せっかくバルバラへいらしたのに温泉も知らずにお帰りになるとは無礼千万。さあさあ、そうと決まったらお支度をしましょ」
あのー、ご遺体は。
「見なかったことにいたしましょう」
男は屋敷の者を追い払ったときと同じ主張を繰り返した。いいのか、それで。
しかも、さっそくお支度ときたものである。思うにまだ真夜中なのだが。
予想外の展開に戸惑いながらナルクルは訊ねることにした。
「その16番目の温泉というやつは、どうやって行くんだい。まさかこの夜道を歩いてなんて言うんじゃないだろうな。オイラは夜目がきくからいいけどよ」
「島には道がありません。船でぐるりと周り、上陸します」
「おい待て。さっき断崖絶壁だの、人を寄せつけないだの、溶岩が流れてくるだのいってなかったっけっか」
「はい、そうですがなにか?」
「あぶねーよ!]
男は戒めるようにチッチッと指を振った。「危険であるからこそ、聖なる巡礼地なのでございます。溶岩の来襲も断崖の崩落もすべて火の神の思し召し。一湯入魂でございます!」
うわー、頼まれても行きたくねー!と三人は青ざめた。
2005-11-22
