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カテゴリー: ルーファスとテッドの物語

長編「ルーファスとテッドの物語」

お家へ帰ろう

 参ったなあ、というのが正直な気持ちである。
 ルーファスには身悶えるほど居心地のよろしくない空気を、テッドは意に介しないふうに静かに吸っていた。一定間隔でぱらり、ぱらりとめくられるページの音だけが自分の存在している証とでも言いたげだ。所在なくもじもじしているルーファスに意識を傾ける気はないようだった。
 困惑を通り越して苛つきが頭をもたげはじめてきた。父は「よき話し相手に」と願っていたしこいつもその言葉に肯いていたくせに、いつも自分の世界にこもりっきりでいる。話はおろか、挨拶ひとつしやしない。
 ひょっとしたら、ぼくのことをお坊ちゃんだとはなからバカにしているのだろうか。
 ここに来る以前のことはなにも聞かされなかったし、父もそのことには触れなかった。
 人間不信になるくらい酷い目に遭っていたのだろうか? 悪い噂によると、紛争に追われて赤月に逃れてきた孤児たちを狙う人身売買の組織があるそうだし、国内でもそういった身元の不確かな子供を不法就労させて利益を得ているあくどい連中もいるらしい。テッドもそういう世の中の汚い部分にいやというほど晒されてきたであろうから。
 それとも、会話のしかたを知らないのかな。
 さっさと主導権を握らねば、と思った。こんな気まずい関係がこれからも続くのは精神衛生上好ましくない。
「ねえ」と試しに問いかけてみた。無論、用事があるわけではない。
 テッドは返事こそしなかったが、茶色くて丸っこい目にルーファスを映した。
「あの……なにそんなに真剣に読んでるの」
 テッドは手の本を少しだけ閉じぎみにし、表紙をルーファスに傾けて見せた。
『シンダル考古学資料の概説と分析』
 ルーファスはぽかんと口をあけた。テッドはふたたびページを開くと、何事もなかったかのように文字を追い始めた。
「あ、あの……おもしろい?」
 今度は眼球だけがルーファスを向いた。ハテナマークつきの素っ気ない答えが返ってくる。
「?……べつに」
「あ、ああ、そう。ふーん」
 あっさり敗北を認めそうになったが、ルーファスは思いとどまって無理矢理会話を続けることにした。ナメられてはたまらない。
「どうしてテッドは難しい本を読むの」
 今度は敵がぽかんとする番だった。どうやら意識してルーファスを避けているということではなかったらしい。問われたから答える。ただそれだけという気はしたが、兎にも角にもルーファスの質問を無視はしなかった。
「自分に有益な知識は、得ておいてソンはないからじゃないのか」
 ストレートかつ優等生的な回答。
 まるでカイ師匠の言葉みたいだった。
 育ち方も年齢もいまの立場も自分より下のはずなのに、あまりにも大人びた態度にルーファスは完璧に呑み込まれてしまった。
 さらに悪いことに、追い打ちは相手から仕掛けられた。
「そういうおまえはさっきから1ページも進んでいないみたいだけど、そんなにつまらなかったか」
「えっ?!」
 興味のないふりをしてしっかりと様子を窺っていたのか。それともグレミオにお目付を言いつけられたのか。たしかに帝国史なんて読んでも面白いものではないけれど、父のあとを継いで将軍の地位になるためには絶対に必要な知識だ。
 ルーファスは渋面になってもごもごと弁解した。
「だってこんなに天気がいいのに、昼間から書斎にこもって不健康だと思わない?」
「まあ、それもそうだけど」
 意外にもテッドはパタンと本を閉じて賛同した。「知識の基本はディレッタンティズムだからな」
「ディレ……なに?」
「自分本位じゃないと身につかないってこと」
 言いながら、テッドは大きく伸びをした。気持ちよさそうに肩を下ろすと、秋の陽光がキラキラと輝いている窓の外に向かって、眩しそうに目を細めた。
 なあんだ。ちゃんと話せるんじゃないか。
 ルーファスは少しほっとして、用事のなくなった『赤月帝国史』を棚に戻した。
 突然、いい考えが閃いた。
「テッドは街を歩いたことはある?」
「買い物とか、用事のあるときにはな」
「ぼくは子供のときは街でよく遊んでいたけれど、このごろは滅多にでかけられないんだ。解放運動だかなんだかで物騒になってきてるし、誘拐されちゃいけないからってグレミオが許してくれないんだ。でもテッドがいっしょなら平気だよね」
「それって、街につきあえってこと?」
「……ダメ?」
 将軍家の坊ちゃんのおねだりにテッドはさぞや面倒な顔をするかと思えば、拍子抜けするほど呆気なく承諾の合図が返ってきた。
「構わないけど」
「やった!」
 そうと決まればさっそく行動だ。パーンとクレオは日中は城仕えしているし、いちばん煩そうなグレミオも今日は裏庭の窓を磨いていたから、表からこっそり出れば気づかれまい。あとでお小言を貰ってもテッドと折半ならなんとでもなる。
 うきうきと飛び出していこうとするルーファスとは対象に、テッドは例の本に加えテオの書架から幾冊かを引き抜くと、「これ、借りてくからテオ様によろしく」と言った。
「テッドのうちに寄ってくの?」
 うち、とは言っても小屋みたいな簡素な建物だ。ここからは数ブロックしか離れていない。マクドールの屋敷にもテッドのための部屋は用意されてあるが、テッドの強い希望で衣食住の住だけは別になったのだ。他人行儀なテッドの態度にルーファスは不満を募らせていたけれど、今日はテッドが最後までこだわった居城というものを観察するチャンスかもしれない。
「これをひとまず置いておかなくちゃ、重いだろ」
「ウン、ウン、そうだね」
 足音を忍ばせて玄関ホールまで辿りついたがグレミオの気配はなくて、二人は気づかれないように門扉を閉めると街路を脱兎の如く駆け抜けた。
 驚いた鳩がバタバタと飛んでいく。
「はあ、はあ、はあ」
 屋敷が見えなくなる路地まで走って、目論見が成功したことを確かめる。思わずテッドににやりと笑いかけると、「おれは知らないからな」と言いつつもけして迷惑そうではなかった。
 その横顔をまじまじと見て、ルーファスはあることに思い至った。
 もしかしてテッドは、規律とかルールといった息苦しいものがただ単に苦手なだけではないのだろうか。
 マクドール家には由緒正しい将軍家という先入観があるのかもしれないし、宮仕えを間近に控えた一人息子がいるとなれば少しばかりピリピリとした雰囲気になっていただろうことは否定しない。テッドの生き方はもう少し自由奔放なのだから、別宅だって逃げ場としてどうしても必要だったのかもしれないな。
 テッドの安らげる家。想像するとわくわくする。好きなものを好きに配置して、ゴミがたまっていてもグレミオみたいに目くじらたてる人はいないから、きっと散らかしっぱなしなんだろうな。日記とかつけてるのかな。そうだ、花に詳しいと自分で言っていたから植木鉢が飾ってあったりして。少し笑っちゃうけど。
「入れよ」
 テッドは鍵穴に鍵を差し込むこともなく、先に中へ入ってルーファスを促した。外側から眺めたことは何度かあるけれど招かれるのはもちろんはじめてだ。いつもは雨戸が閉めっぱなしなので覗くに覗けない。
「おじゃましまーす」
 一応挨拶はしたものの、その語尾は尻すぼんだ。
 薄暗い内部とその殺風景さに息を呑んだ。
 予測していた場所とそこはあまりにもかけ離れていた。もっと正直な感想を述べるとしたら、こんな部屋に暮らすのはいやだ。こんな人の居住感というもののまったくない家には。
 シーツの乱れた冷たそうなベッドが一個。白いカップがひとつだけ置かれた簡素すぎるテーブルとイスが一個ずつ。
 以上。
 ベッドのわきに置かれた古めかしい鞄と鉄の弓、そしてひと束の弓矢だけが彼の道具のすべてだった。
 出て行こうと思えば三秒で支度ができる。そんな感じだった。
 テッドは本の山をテーブルに乗せると、言った。
「よし。じゃ、行きますか」
 だがルーファスは立ちつくしたまま動かなかった。その部屋においては異様に存在感のあるカップにぼんやりと視線を注いで、呟いた。
「テッドは、寂しくないの?」
「あん?」
 不意な問いかけにテッドも返しかけた踵を止めた。すぐルーファスの真意に気づいたらしく、素っ気なく言い返す。「別に。ほら、行くぞ」
「ねえ、テッド」
 ルーファスは申し訳ないと言うように名を呼んだ。「ぼく、街へ行くのやめた。今夜、テッドのうちに泊まりたくなっちゃった。ねえテッド、そうしよう!」
「泊まるって……」一瞬図りかねたように言葉を詰まらせたあと、テッドは呆れた。「ここにか?」
「うん。だってテッド、うちじゃ絶対に眠ろうとしないんだもの。話をしたいことだっていっぱいあるんだよ」
「いま話せばいいじゃないか」
「夜じゃなきゃダメなの!」
 ルーファスはだだをこねるように大声をあげた。テッドのため息が聞こえた。
「毛布だってひとつしかないのに……」
「ひとつあったらじゅうぶんじゃない。くっついて寝たらあったかいって」
「子供じゃあるまいし」
 ブツブツと呟きながらテッドはきっぱりと否定した。「いや……ダメだ。どうしてもってんならもうひとつ毛布をもってこいよ。おれは床でも平気だから」
 ルーファスの顔がぱあっと明るくなった。
「ウン! わかった、すぐもってくるよ。どうしても! どうしてもだからね!」
 自分本位もここまでくると見事なものであるが、ルーファスはどうしても、夜ひとりでテッドをこの家に帰すのは我慢できなかった。テッドは毎夜、そのベッドでどんな夢を見ていたのだろうか。たったひとりで口をつけるカップは温かかっただろうか。思えば思うほどいたたまれなくて、どうにかしなくちゃという焦りを抑えられなかった。
 そんな気持ちを知ってか知らずか、テッドはふうと息を吐いて降参した。
「しょうがないな。けどグレミオさんにはきちんと話しておくんだぜ。内緒でいなくなったら大事になるから」
「よし、さっそく戻ろう! わくわくしてきたなあ。えーとほかに持ってくるものは、っと……カップももうひとついるね。イスはまあいいか。夜中にお腹減っちゃいけないから食べ物も確保しとこうよ。あ、やっぱりいっぺん街に買い出しに行く?」
「……おまえなあ」
 すっかり有頂天のルーファスの暴走を諫めるのはもはや不可能と知り、テッドははじめてのクスクス笑いを見せた。


とくに決まったネタがあったわけじゃないんですが、テッドで一編書きたかったのでさほど悩まずにやってみました。発つ鳥跡を濁さずのスタイルで生きてきたであろうテッドと、それを知ってしまった坊ちゃんの不安というものを書いてみたつもりです。タイトルは無題にしようと思いましたがそれではあんまりなので、幻水の音楽シーンにも参加されているユニット、rain bookの曲からお借りしました。

2005-11-09