第十題「自分でも持て余して」
塩湖から吹きあげてくる濃密な風は新緑を揺らし、不安げにざわつかせる。厳しい自然に耐えられなかった木々は淘汰され、塩害に強いものだけが生き残ったのであろう。周辺の植生はよそとくらべて一種独特で、旅をしているよそ者にはめずらしい風景である。
塩湖は対岸がかすむほど広い。だからほとりもよけいに荒涼として見える。都市の近郊とは思えぬほどの寂れよう。
塩景気にわいた百年前は、交易商や観光客らの宿がにぎやかに建ち並び、活気は現在の比ではなかった。いま観光客はすべてスワントレイク市中心に流れ、廃墟と採塩場しか観るところのない塩湖まではやってこない。
オルタ州立スワントレイク司法学校尚書長、コスタンティーノは、狡賢そうな顔つきをした三十代の痩せ男であった。彼は全身をなけなしの虚勢で塗り固め、ありとあらゆる罵詈雑言を吐き散らした。マコルフ・ボナパルトの代理人と名乗った拉致犯リーダーが十歳そこそこの少年で、しかも目上に対する畏敬のかけらも示さないものだから、ばかにされたと思ったのであろう。
だが少年の命令で事務机のある一室に連れこまれ、縛られて不穏なしみのある床に蹴り飛ばされると、彼は青くなってついに弁解をはじめた。手のひらを返したように愛想笑いをうかべて媚びる始末である。
少年は塩を保管する木箱の最上段に腰掛け、無機質な眼で男を見下ろした。
鳶色の眼は亜透明な結晶のように光り、対象物に固定された。下賤な咎人を見るような目つきだ。どうすれば相手を怯えさせることができるか少年は熟知しているようだった。年相応にはとても思えない。
「おれは、め、命令されただけだ」
コスタンティーノは口角から泡をふきながら繰り返した。「チクれといったのは大法官どのなんだ。法廷さえひらいてしまえば、裁判官を動かすのはたやすいからって。そ、それに毒薬の密売は犯罪だろうが。大法官どのは正義を貫こうとなされただけだ」
「その大法官が上級の顧客なんだけどね」
「だ、だからよ! 法を司るお方だから、真摯に反省したってこったろ。おたくも、後ろめたい商売からは足を洗って、いままでどおり地道に塩を売ってれば……」
「お客さんにお茶をいれてくれる?」
テッドは聞き役に飽きたかのように、傍らの付き人に命令した。付き人は無言で一礼し、別の男になにごとかささやいた。
なんでも申しつけなさいとマコルフが貸与してくれた付き人は、柔和な眼をしたやさしそうな青年であった。テッドの行動を逐一チェックし、馬車の乗り降りから飲食に至るまですべて完璧に世話をしてくれる。しかしその外見とはうらはらに、マコルフが側近として篤くはからうだけの冷酷さを備えていた。テッドが少しでも妙な動きを見せたらそれを牽制し、場合によっては処刑する権限すらも認められている。
「お持ちいたしました、若様」
「あれ、おれのぶんもあるの。気が利くね」
机に置かれた湯気のたつふたつのカップを細目で見て、テッドは木箱から軽快に飛び下りた。
「おじさん、砂糖、いる?」
訊きながらテッドはスプーンで砂糖つぼをかき回し、片方のカップにさらさらと落とした。ミルクも垂らして、また砂糖を少し足す。
「おれ、甘党なんだ。おじさんは」
コスタンティーノは飛びでそうなほど眼をむいて、「いらん。飲まん」と呻いた。額からだらだらと汗がわいている。
「焦ったときはお茶を一杯飲むと落ち着くぜ」
テッドはからかうように嘲った。
「ふ、ふん、どうせ毒を盛ってあるんだろうが。おれはいらん。ぜったいに飲まないぞ」
テッドはぷっとふきだして、「疑り深いおじさんだねえ」と言った。
ミルクティに手を伸ばし、口をつける。
「あちっ」
まだ飲みこめるほど冷めていない。唇をとがらせて、ふうふうとふいた。
こくりと喉が鳴る。
「ほら、なにもいれてない。いれたのはミルクと砂糖だけだ」
「そっちのカップだけはいってるんだろう」
「同じカップ、同じお茶。どちらってきいてないのに、片方だけにいれた毒がわかるわけないじゃない。遠慮しないで、どうぞ。ああごめん、手が不自由だったね。だったら飲ませてもらいなよ」
付き人が両手で丁寧にカップを持ち、別の男が逃げられないようにコスタンティーノを支えた。コスタンティーノは必死になって抵抗しようとした。
「い、イヤだ! おれを殺したってなんにもならないぞ。どっちみち、もう遅いぜ。証喚委員会も結成されちまった。おまえら、監獄に行くのも時間の問題だからな。ボナパルト侯爵一家ともあれば火あぶりは免れないだろうしよ。さんざんあくどいことをしてきたんだから、そんだけの覚悟は……」
「よくしゃべるおじさんだなあ」
テッドがぜんぶ言い終わらぬうちに、コスタンティーノの口にティーカップが押しつけられた。茶色い液体はほとんどが胸元にこぼれたが、あごをあげた瞬間にわずかな量だけ喉奥に流れた。
「げっ、げぼっ、げほ、げほっ」
コスタンティーノはパニックに陥って、激しく咳きこみ、断末魔の芋虫のように暴れた。
「……っ、は、あははははは」
テッドはゲラゲラと笑って、前屈みになってがくがくとわななくコスタンティーノに軽蔑のまなざしを向けた。あまりの恐怖で、失禁してしまったようだ。
「だからなんにもいれてないっていったのに。利害って信頼あってこそバランスがとれてんだよ? 社会はさ、利害関係に基づいて人為的につくられてるんだからさ、お互いを信頼するって基本じゃない。ひとりの悪事は連帯責任って、おじさんも教わったんじゃないの。目的があって薬を買ったんなら、契約は守るべきだよね。それはできません、信頼もしません。だったら……」
コスタンティーノはうぞうぞと髪の毛を逆立てた。少年がポケットから茶色の小瓶をとりだしもてあそぶのを、しっかりと見てしまったのである。
「大法官さんも騙されたくちだよね。保守党のランゼイ・スミッソンさんがあまりにもしつこいから。お気の毒に、ただ気が弱かっただけなのに。でもいまごろもしかして、ふたりとも馬車の事故であの世にいってっかもよ?」
付き人はテッドをちらりと見て、「どうなさいますか」と訊いた。
テッドは小瓶をポケットに戻し、踵を返しながら言った。
「ほかに関わった人物をすべて吐かせちゃって。おれはもう帰る。疲れたから」
汗が気持ち悪くて何度も寝返りをうち、少しだけうとうとしたと思ったら妙な夢をみてうなされる始末。テッドはやがて寝るのを諦め、脇机の上にそなえた水差しからコップに水をついでがぶ飲みした。
広い窓から見える空にはひとつの星もない。春先から夏にかけて、この地方には雨季のようなものがやってくる。明確に雨ばかり降るというわけではないのだが、秋冬にくらべて格段に晴れの日が少ない。
重く垂れこめる灰色の雲にリズムが崩されたか、ここのところ体調までかんばしくなかった。不眠と発汗と拒食。原因がストレスにあることはわかりきっていたが、邸の者たちに助けを求める気はない。
いつかチェスターが処方してさんざん悪態をついた薬を、いまこそほしいと思った。注文したら伝書フクロウが窓から運んでくれればいいのに。
どこかで暇潰しに読んだ冒険小説の受け売りだ。ばかばかしいったらありゃしない。役に立たない思考を無為にめぐらすのはよそう。
寝間着のまま裸足で床に足をつく。完全に目が覚めてしまった失態にため息をもらし、テッドはぺたぺたと広い自室を横切ってドアを開けた。
目前のリビングには付き人が待機している。夜間はそこで本などを読みながらテッドを監視しているのだ。日に数時間、ほかの者と交替するだけで、疲れの片鱗も見せない。
付き人はすっとたちあがって、一礼した。
「どうされました、若様」
「眠れないから、書斎にでもいこうかと思って」
「では、おつきあいしたします。ああ、邸内ではどうぞルームシューズをお履きください」
付き人はふわふわのスリッパと肩掛けをテッドに装着し、ランプを持った。この男は少しだけ足が不自由で、歩くときはびっこをひく。それが原因で役を変えられたのかもしれない。細かいところまでじつによく気がつき、下男としては申し分ないが、ぞくりとするような非人間的な魂の持ち主だ。
名前はアレン。歳は二十三。子どものころからマコルフに仕えているという。
ただ者ではない。懸念するとしたらまず彼の存在だ。
廊下を歩いていくと、窓の外に犬の徘徊する影が見えた。夜間だけ、広い庭には犬が放たれる。どう猛な種類で、しかも動くものすべてに反応するよう訓練されている。
犬たちを制御できるのはプロの訓練士だけで、館のあるじや使用人たちも、迂闊に表へ出ようものなら即座に噛み殺される。不審者の侵入防止だけでなく、内部監視もそれで機能しているのだ。
邸内はいつもより静かだった。マコルフが不在の時は暇を出される使用人も多く、とくに食事係は激務からつかの間解放される。
テッドは偏食が多く、そのためマコルフによって専任の料理人がつけられた。べつにそこまでしてくれなくてもと思ったが、これがかえって幸いしたのである。料理人はテッドには甘い人で、おかげで養父と席を同じくしないときは、勝手気ままな食事を堪能できた。
金持ちの生活も、慣れてしまえばまんざらでもない。単調な上に無期限の生涯、たまにはこういったハプニングもいい。我が身の危険と背中あわせの緊張感も。
愉しむといったら浅はかかもしれないが、充実感はたしかにある。
事情が事情でなければ、ほんとうにマコルフの後継ぎとして大成したかもしれない、と考えたらおかしくなった。
「若様」
廊下の途中でアレンがふいに立ち止まった。
「なに」
「お訊きしたいと思っていたことが」
テッドは警戒した。いつもけして自らは動きださない付き人が、このような出方をするのは奇妙である。
「不躾で恐縮ですが……若様、ここへいらしてから散髪をなさいましたか」
「……」
「爪、も。いつもきれいにそろえてらっしゃる。でも、ぼくはいちどもお手入れをしてさしあげた覚えは、ないのですけど」
テッドは無視をして歩きだそうとした。その腕を背後からつかまれる。
「お待ちください」
冷や汗がながれた。
テッドは上目遣いに長身の付き人をにらみつけ、「なにがいいたいの」と低く言った。
漆黒の、見せかけだけ柔らかい瞳がテッドをとらえていた。
「お部屋で、お話ししましょうか」
そこにあった部屋に、強引に連れこまれる。ふだん使われていない、来賓用の寝室である。
アレンはあくまでも鄭重に、テッドをシーツの敷かれていないベッドに座らせた。
「こんな出過ぎたまねをしていいと思っているの」
動揺を見せまいとテッドは防御線を張り巡らした。予想外の展開である。アレンがなにをたくらんでいるのか、まったく読めない。
「確かめたいこともございまして」
「父の命令?」
「それは、のちほどお教えします。若様、お気づきでしょうが、ぼくが不思議に思っているのは若様ご自身のことです」
「……ふん」
「若様ははじめてお会いしたときから、まったくお変わりにならない。伸び盛りの男の子というものは、半年もすれば、少なからず成長するものです」
アレンは言葉を切り、そして誘いかけるように訊いた。
「なぜですか」
テッドの動悸が早くなった。返事を考えあぐね、視線を反らす。
「お答えになれない、と。では」
ギクリとした。アレンは目にもとまらぬ速さで懐から出したなにかを投じた。
右の上腕に鋭い痛みを感じる。
2インチほどの投げ針が突き刺さっていた。
「多少手荒ですが、どうぞ……向かってきなさい」
「なんのつもりだ」
血の筋が寝間着の袖をつたった。
「若様のお身体に訊くだけです。紋章を宿しておられるのでしょう? 手加減はいりませんよ」
「くだらない。時間の無駄だ」
「あいにくぼくのほうが手加減というものを知りません。若様がその気になれないとおっしゃるなら、しかたがない。どうぞお覚悟を」
テッドは反射的に飛び退いた。いままで座っていた位置に五本の針が立っていた。
「……冗談じゃない!」
こちらには武器もなく、しかも動きづらい寝間着に裸足である。完全に分が悪い。こうなったら逃げるが勝ちだ。
「ドアは鍵をかけさせてもらいました。窓を蹴破るのもよろしいですが、ここは三階です。しかも、真下は崖。お忘れなく」
「バッカ野郎……」
「お話しする気になったらいつでも降参してください。では参ります」
テッドは無我夢中で死角をさがした。ろくな家具もない部屋の中で唯一、身を隠せそうなベッドの向こうにすべりこむ。
隠れん坊ではないのだからじっとしていていいはずがない。動こうとしたとき、今度は右足に痛みが奔った。音もなく襲ってくる投げ針は容易にはかわせない。
次は肩。テッドはだんだん腹が立ってきた。激痛に顔をしかめながら引っこ抜く。
ぐらりと目眩がした。
「な、なに……?」
アレンの冷ややかな声が背後できこえた。
「最初のはただの針。いまのは神経に作用する毒が塗ってあります。五回くらい受けたら、呼吸困難をおこしてあの世いきですよ。どうします」
「……卑怯」
テッドは喘ぎながら、尻で後ずさった。
「紋章を使ったらどうですか」
アレンの右手が閃いた。
「痛ッ……!」
「あと三回」
息苦しさで視野が急に狭まった。ランプのあかりがひどく遠くに見える。
ソウルイーターを。
―――いや、だめだ。
水の紋章のことを思い出し、テッドは左手を軽く動かした。あまり頻繁に使ったことはないので感覚はつかめていないが、藁にもすがるというやつだ。
自己流で詠唱を試みる。ソウルイーターには無用のわずらわしい手続きである。マスターすればこれも瞬時に発動できるのだろうが。
「くっ!」
目測で破壊の水属性エネルギーを叩きこんでやった。いまはこれが精いっぱいの抵抗である。
「お遊戯のような魔法だ。かわいい、かわいい」
難なくかわしたアレンが、まるで学校の先生のようなおだやかな口調で言った。だが次の瞬間、声色ががらりと変化する。
「本命はあくまでも隠しとおすつもりなのですね。その、右は」
咄嗟に身を守った左手に、針が二本まとめて突き刺さった。
体内に侵入した毒は血管に混入して全身機能を麻痺させた。
テッドの身体はぐらりと傾き、床の上に突っ伏した。
アレンの足が近づいてくる。
「そろそろ限界かな。どうです、もう動けないでしょう。さて、次は完全に致死量です」
アレンはテッドの首筋に針先をぴたりとあてた。
「話す気になりましたか。それとも、きみはひょっとして、死なないのかな。この紋章のおかげで。ねえ、ためしてみてもいいですか……?」
「冗、談……」
テッドは目を瞑ろうとしたが、それすらもうまくいかなかった。身体がまったくいうことをきかない。ソウルイーターに念じようにも、己の右手の所在すらつかめない。
やばい。心だけが焦った。
アレンはくすりと笑って、テッドの頭を撫でた。
「ためしてみたいけど、ほんとうに死んでしまったらマコルフさまにどやされちゃう。きょうのところはこれくらいにして、お部屋に戻りましょうか。書斎はもうよろしいですね。ぐっすりおやすみください」
アレンはテッドを抱き起こし、細い身体で軽々と持ちあげた。
鍵をかけたと言っていたはずなのに、ドアはそのまま開いた。鵜呑みにしたテッドの負けである。完全に相手が一枚上手。
圧倒的な敗北感。こんな悔しい思いをしたのは久々だ。
「ユーノス・オーウェン邸の事件を調査してマコルフさまにお教えしたのはぼくです」とアレンは言った。「そうすればマコルフさまは、若様に興味をもっていただけると踏んでいました」
「あんた、いったい……」
「ぼくですか? ぼくはご存じのとおり、マコルフさまの下にいる者です。マコルフさまは紋章にはまったく関与したがらないお方ですから、僭越ながらぼくが仲介をさせてもらいました。思ったとおり、マコルフさまは若様の別の一面を気に入られたようです。うまくいって、ぼくもほっとしました」
「なんで、そんなよけいなこと」
「マコルフさまにこの国の頂点に立っていただきたいからですよ」
テッドのために特別にしつらえた、豪華な部屋に戻るとマコルフはベッドにやさしく主君を横たえた。ふわりと身体が沈む。息苦しさはだいぶ緩和してきたが、身体が思うように動かせない。
「痺れが抜けるまでしばらくかかります。おそばについていますから、お水が欲しいときにはどうぞおっしゃってください」
「話はまだ終わってない」とテッドは言った。「あんた、そんなにあの人のことをまつりあげたいのか? どんな恩があるのかしらないけど、そんなことが、あんたの野心なのか」
「恩はあります。野心も、ぼくなりにございます。ここだけの話ですがぼくは、マコルフさまに心酔しているわけではありませんよ。尊敬と忠誠はまったくの別物ですから。若様だってそうなのでしょう。同じです」
「一緒にするな。胸くそが悪くなる」
「マコルフさまが若様をどう思っておられるのかわかりませんが、ぼくはおそらくマコルフさま以上に若様を見守っております。若様がご自身に関する重大なことを隠しておられるのも、知っています。ぼくが関心をもったのは、まさにそこです」
テッドは長々と息を吐いた。
「こんなもんに関わるな。あんた、不幸になるぞ」
「力の強い紋章のなかには、不老や不死といった影響を身体に及ぼすものもあるらしいと学びました。若様のそれは、そういったたぐいのものですね」
「憶測でものをいって得意がるなよ」
「おっしゃったのは若様でしょう。マコルフさまから、この子は四十歳だっておうかがいしました」
「クソ親父。いかれてる」
「ぼくはそれで確信しましたけどね」
とんだ伏兵がいたものだ。あるじより、有能な部下に注意をはらうべきだった。
アレンはランプのあかりを眩しくないように落とし、ベッドわきの椅子に腰掛けた。
「ご安心を。ぼくは若様に忠誠を尽くします。先ほどの戦いを拝見して、助言をさしあげたいことがふたつみっつございました。若様はいちど右手の紋章をお使いになろうとして、躊躇なされた。強力な攻撃魔法か、それに準ずるもの。発動にかなりのリスクがあるか、あるいは、意に反した結果を及ぼしかねないものとお見受けしましたが」
「あたりだよ。あんなもん使ったらあんた、命がないだろうな」
アレンは期待どおりの返答にほほえんだ。
「おやさしいのですね、若様。あれだけ追い詰めてさしあげたのに、殺気も向けてこられなかった。おわかりになりますか、それは、お命を失いかねない重大な欠点です」
テッドは無言でちらりとアレンを見た。図星である。
「それと、若様はあまりにも無防備でいらっしゃる。紋章を平素、戦闘手段としてお使いになるつもりがないのでしたら、それに代わるものを習得すべきだと思います。身体的弱点を補う方法はいくらでもございますし、若様が望まれるのでしたら、ぼくが訓練のお相手をいたします」
「……考えとく」
「それから、これが最後ですが」
アレンはゆっくりとテッドを見て、その視線を右手に移していった。
「……若様が拒むとおっしゃられるのでしたら、しかたがありません。それについてご存じだと思われるあの方に、おうかがいします。旧市街にお住まいでしたね、彼女は」
テッドの眼が見開き、唇がふるえた。
必死に拒絶しようとしたが、声はすべて苦しげな呻きになった。
「ヤだ……やめ、て……」
「若様が強情を張るからですよ」
「あの人は関係ない。巻きこむな」
「おやすみなさい、若様」
アレンはスッと立ちあがって、テッドの口元にハンカチを押しつけた。清涼感のある甘い匂いを嗅いだ瞬間、なにもかも痺れたように一瞬でわからなくなり、テッドはぐったりと力を抜いた。
最終更新日:2006-10-12
