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バースデイ 3

第三題「つっかかって」

 招かざる客人がいつまたやってくるかわからない。敵もこれ以上失敗は重ねられまいから、次の行動を起こすのもきっと早いだろう。だまって待っていたら、窮するだけだ。
 居場所を変えるのがもっとも手っ取り早い方法なのだが、いまテッドを動かすわけにはいかない。
 チェスターはいちど家に戻って、同居している彼女を連れてきた。最悪の場合を考えて、目の届くところに居させるのがいいと判断したからだ。
 カミラは恋人のチェスターと同い年で、学生であるとのことだった。勝ち気そうな眼をしているが、緊張しているのか、挨拶を交わしたあとは黙りこくったままだ。
「こいつ、学校の先生になりたいんですよ。子どもが好きで。まだまだ勉強途中なんすけどね」
 ぴりぴりとした空気をやわらげようとチェスターが気を遣った。
 熊か猪かと見紛うような大男と、金髪碧眼で身なりもよい女の子。恋人同士よりもむしろ、良家のお嬢様とそこの下働きという組みあわせのほうがしっくりくる。どこで口説いたのだろうか。チェスターもまったく隅に置けない。
「別にお部屋を用意してさしあげたいのですけれど、今夜は安全を考えてかたまっていたほうがいいと思います。なにも関係のないお嬢さんをとつぜんこんなことに巻きこんで、ほんとうに心苦しく」
「先生。先生が気に病む必要なんてありません。お話はだいたいうかがいましたけど、権力を笠に着た理不尽な暴力はわたしも反対です。ましてや子どもをあんなめに遭わせるなんて、悪魔のしわざだわ。それを隠そうとする人たちも。先生はほんとうに勇気がおありです。チェスターが戦うというなら、わたしも。非力ですけれど、だれかが声をあげなくちゃいけないと思います。おねがい、どうか、顔をあげてください」
 声の調子は固かったが、凛としていた。
「ぜってぇムリはすんじゃねえぞ、カミラ」
「だいじょうぶだって。チェスターがついててくれるんでしょ?」
「おお、離れんなよ」
 フレッドはにっこりとほほえんだ。さすがは優秀な助手の惚れた女性だ。
 だが、気を引き締めないと。正義感だけでは太刀打ちできない。カミラのいったとおり、敵は権力を後ろ盾にしているし、全容も見えてこない。救出活動に加わった憲兵のなかにも、黒幕と精通している者がまじっていたかもしれない。見えない敵ほど恐ろしいものはない。
「彼らがこれほど執拗に狙ってくるということは、テッドくんがなにか重要な証拠を目撃している可能性がある、ということなんでしょうね」
 フレッドは椅子に深く腰をおろして、ちらりとベッドを見た。
 チェスターもうなずく。
「関与しているやつらの顔を見た、か。どうせ埋めちまうつもりだったんならよ、それこそ州議会クラスの……聞いたらひっくりかえるようなとんでもない大物がよ、エゲツねえ趣味とか憂さ晴らしとかで子どもらを嬲ってたってセンもあるよな。やつら、孤児なんて町のゴミとしか思ってねえんだろうしよ」
「しっ」とフレッドは声の大きいチェスターを制した。「そういう憶測は、テッドくんのいるところではちょっと……あまり、耳にいれていいものじゃないので」
 カミラはスッと立ちあがってベッドに近づき、横たわっているテッドをのぞきこんだ。
「眠ったみたい。だいじょうぶよ」
 さっきまで異様な咳を繰り返し、脂汗をにじませていたのだが、適切な処置のおかげですこし落ち着いたのだろう。呼吸がいくぶんらくになったようだ。飲みこんだ毒物の量が少なかったのと、すぐに吐かせることができたのも幸運だった。
「ほんとうにチェスターが来てくれなければ、あぶないところだった」
「なんかね、胸騒ぎっちゅうか、いやな予感ってヤツですよ。まあ、ちびすけが心配だったったってのもあるけどよ」
「チェスターってば、こないだから口をひらくとテッドくんの話ばかりなんですよ。手におえない弟ができたって。そりゃもううれしそうに。ほんと、どっちが子どもなんだか」
 カミラはようやく表情をやわらげてくすくすと笑った。チェスターは照れて耳まで真っ赤になってしまった。
 テッドが身体を丸め、シーツに額を押しつけて激しくむせた。苦しげなうめき声が漏れる。
「かわいそうに。なんて、ひどい。チェスター、おくすりかなにかでらくにしてあげることはできないの」
 チェスターは首を振った。
「飲んじまった毒がけっこう凶暴なシロモノでよ。そいつが完全に体外に排出されるまで、どんな薬でもかえって害になる。あれこれせずに、自然に抜けるのを待つっきゃねえな」
「そう……なの」
 枕元に腰をおろして、カミラはテッドの背中をさすった。吐瀉物で汚れた口元も絞ったタオルで拭ってやる。小さな弟が三人もいるので、看病は手慣れているのだ。
「こんなことをした人にも、子どもがいるでしょうに」
 カミラは怒ったようにつぶやいた。
 チェスターはフレッドに目をやって、訊ねた。
「先生、まさかテッドのこと、行かせる気……ねえよな」
 朝になったら捨ててくれ、と請われたことを気にしているのである。
「いえ。約束ですから」
「先生、いくらなんでもそいつぁ」
「この子がせっかく自分の意志で生きるといったのですから、ぼくは信じます」
「けどよ……」
 チェスターは開きかけた口をいったん閉じた。出そこなった言葉が宙に浮く。
「チェスター、心配していることはぼくも同じですよ。朝まで休ませたとして、ううむ、こんな容態ではまともに歩くことも困難でしょう。青白い子どもがフラフラ歩いていたら、みんなさぞ怪しむだろうなあ。ぐあいの悪い患者さんがいたら、お医者さんをよびますよね、ふつう。え、ぼく、国境を越えたいの? ならばお医者さん、出張というところですかね。遠いところをごくろうさま」
 ぽかんとするチェスターにフレッドは悪戯っぽく笑った。
「……と、いう大人の理屈です。こういうのはべつに卑怯でもなんでもありません。さて、きみもいっしょに行くならそろそろ支度を、有能な助手のチェスターくん」
 チェスターは大きくうなずき、白い歯をのぞかせた。

 スワントレイク市は州の東側を総括している中核都市で、公的機関も多い。州議会も年に何度かはここで行われる。都市の規模としては比較的大きい部類にはいるだろう。国土の東のはずれに位置し、山脈で隣国と接している。
 レイクの名は郊外にひろがる広大な塩湖に由来している。スワントは開拓の祖、ジェイムズ・スワントへの敬意だ。一帯は塩の採掘が盛んなため、交易でひと財産を築いた商人たちの『塩御殿』が新市街にはたくさん建っていた。貧富の格差は大きくとも、すべての市民には平等に発言権がある。フレッドたち旧市街の住民もけして虐げられているわけではない。
 上層部の癒着が問題視されるようになったのはここ数年の話である。それまでのスワントレイク市は行政と有権者の相互監査が等しく成り立っていた。
 ほんのわずかな傷に産みつけられた卵から、蛆がつぎつぎとわいた。餌に事欠かない議会が腐敗するのはあっという間であった。
 いまやフレッドたち下層市民にとって、権利は紙に書いた子どもの落描きと同等だ。さもご大層に展示されたあと、判も押されることなくゴミ箱へ直行。了承も得ずに無条件破棄される。
 独裁が暴挙に変わったいまがいい機会であった。フレッドもチェスターも、平和主義だがやるときはやる。現実に目の前に、犠牲になろうとしている子どもがいる。目を瞑ることはふたりにはできなかった。
 塩湖の半周を囲むようにそびえたつ山脈は急峻で、これを抜ける道は一本しかない。もちろん国境では両国の警備隊が出入国する人々をつねに厳しく監視している。
 地理的要因から、ゲートをくぐらずに国境を越えるのはほぼ不可能に近いと思われた。
 さいわい双方の国にいさかいはなく、永年的な友好関係にある。お尋ね者でもなければ向こうとこちらを行き来するのはそれほど面倒なことではない。
 テッドを危険なめに遭わせないためには、隣国へ逃がすことがもっとも堅実な方法であると、フレッドたちの意見は一致した。隣国に住むフレッドの知人に頭を下げれば、よいように取りはからってくれるだろう。
 国境ゲートまでは百二十マイル。乗り合いの辻馬車も便数が多いので、不便はない。テッドは身分証明を持っていないが、保護者つきなら不問にされるはずだ。
 問題は、国境警備隊に手が回っていた場合である。多方面に顔の利く黒幕がいるとしたら、すでに張りこんでいる可能性はじゅうぶん考えられる。それなりに変装は試みたものの、この程度で欺けるとは思っていない。
「テッドくん、かわいい。いい家のお坊ちゃんみたいよ」
 蝶ネクタイつきの純白シャツに上品なカンガルー色のニッカボッカ。オレンジ色の髪はころりとしたキャスケット帽子に押しこめられている。サイズもぴったりで、洋服ダンスの奥から引っ張り出してきたにしては上出来だった。
「物持ちがいいんですね、先生。虫も喰ってねえ」
「しまいこんだまま忘れていただけですよ」
「お茶、もっとどうかしら、テッドくん」
 小旅行気分の大人たちに囲まれて、ひとりだけ仏頂面のテッドはいかにも鬱陶しそうに咳をした。
 体調は持ち直したとは言いがたく、今朝は発熱の症状も認められた。わずかなお茶以外、なにも口にしようとしない。
「つらかったら、わたしにもたれてもいいのよ。酔いそうになったらすぐに馬車をとめてもらうから。がまんはしないで、ね」
 肩にかけられたカミラの手を、テッドは邪険に振り払った。ぐあいの悪さ以上に、ご機嫌のほうが臨界点らしい。こちらの都合でかなり強引に進めてしまったのだから、無理もないが。
 景色を見るふりをして、フレッドはテッドを観察した。口を一文字に結んでじっと下を向いているが、頭のてっぺんから見えない湯気がしゅんしゅんと噴きだしている。
 発熱は身体が侵入物に対抗できるほど元気になった証拠で、怒るのも命を拾ったからこそできることだ。ヤマ場を越えたのだからもう大丈夫。
 いまごろ頭の中ではどうやって文句をたれてやろうかとか、むこうの国に着いたら覚えていろだとか、そういったことがぐるぐる渦巻いているのにちがいない。もはや友好的な関係は期待できそうにもなかったが、きのうまでのテッドよりはずいぶんと表情が豊かになったようにも思えた。少なくとも、いまのテッドは不満という感情を剥き出しにしている。
 怒鳴った直後、少々言いすぎたかと後悔したが、結果的にあれでよかったのだ。テッドはおそらく、死んでしまえと怒鳴られることはあっても、生きようとしないことをなじられた経験はあまりないのだろう。慣れない事態に戸惑って、次の手を繰り出せないでいるような雰囲気だ。
 いずれにせよテッドには保護者が必要である。国境の向こうの知人をつてに、あちこち頼みこむくらいは尽力しなければ。国が違えば言葉も生活様式も異なるが、テッドはまだたくさんのものを吸収できる年頃なのだから先んじて心配することはない。
 テッドが顔をあげた。フレッドの視線にいらついたのだろう。例の鳶色の眼でぎろりと睨まれる。やられる前にやってやるぞといった感じの、攻撃的な目つき。
「気分はどう」
 フレッドはなごやかに問いかけた。だて眼鏡の奥をできるだけ柔和によそおってみせる。
「気分?……サイアク」
 全く似合わないドスをきかせた声も、どことなくほほえましい。ほんとうに憎悪しているのなら口をきかないだろう。なかなかわかりやすくて、いい答えだ。
「調子がわるくなったら、遠慮せずにいつでもいいなさいね。むちゃをしちゃだめですよ。おなかが減ったらクラッカーがありますし」
「チーズもあるわよ」とカミラ。
「いらない」
「トイレは」
「結構」
「お茶……」
「もうのんだ」
「退屈ならしりとりでも」
「ひとりでどうぞ」
「ネクタイきつくない?」
「ウザかったら取る」
「窓あけて風いれようか」
「ご勝手に」
「なにかほかにしてほしいことがあれば」
 四方八方から矢継ぎ早に叩きつけられるお節介についに切れたのか、テッドは真っ赤になって噴火した。
「してほしいこと? ああ、あるよ。いいか、おれに、構うな!」
 叫んだあとで息苦しくなったのか、げほげほと激しく咳きこんだ。カミラが背中をさすったが、今度は払いのけようとしない。そうとうきついのか、目尻に涙がたまっている。
「ちびすけ、横になってよう、な?」
 チェスターはテッドの頭を膝の上に乗せて、横たえさせた。わずかな抵抗は力で封じこめる。テッドはそれ以上抗うことをしなかった。
 苦しい呼吸と熱が伝わってくる。下がっていないばかりか、今朝よりも高くなったようだ。解熱剤を飲ませたほうがよいだろうか。こういったケースは滅多にあることではないので、判断がむずかしい。
 苦しみを緩和させる方法を、と考えて、チェスターはテッドの背中をひたすらさすってやった。これくらいしか、自分にできることはない。薬で治せるものは限られているのだ。
 テッドは目を閉じて、力を抜いた。少しは気持ちいいのだろう。突っ張っていても、身体がいうことをきかないときはだれだって気弱になる。
 馬車がきりきりと車輪を軋ませて止まった。頭の禿げた御者が申しわけなさそうに幌の中をのぞきこんだ。
「お客さん、お急ぎのとこすいません。なんか検問をやってるみてえで。ちいとお時間くっちまいますけど、どうからくにしていてくだせえ」
「検問?」
 フレッドは怪訝な顔で外を見た。なるほど、辻馬車が何台も停車している。順番待ちだろう。
「先生、まさか」
「ありえますね」
 チェスターはごくりと唾を呑んだ。別件ならばそれにこしたことはないが、タイミングがよすぎる。
 逃げようにも、馬車はもう憲兵に囲まれていた。みな武器を携帯している。抵抗しても丸腰のこちらに勝ち目はない。
「どうします」
 すると、テッドが身動きもせずに言った。
「抵抗はするな。もしそうでも、考えがある」
「捕まれ、ってのかい。ちびすけ」
「そうだ。グッサリやられるよりましだろ」
 チェスターは困惑してフレッドを見た。フレッドもうなずく。
「最悪のことばかり想定してもしかたがありませんね。話しあいで解決するという道もあります。少なくとも、ほとんどのお役人さんたちは駒として動いているだけでしょうから」
「テッドはわたしの姉の子ということにするわ。病気の療養のために空気のいいところに行く途中。そうしましょう」
「姉さんいくつだよ、カミラ」
「二十五」
「いくらなんでもちいと若くねえ?」
「あら、いまどき十五で子供産むなんてざらよ」
 カミラはすました顔で言った。肝っ玉がすわっている。
 じりじりとした時間が過ぎ、憲兵が「全員、降りてください」と命令に来た。
 フレッドとカミラが先に従い、チェスターはテッドを抱っこして外に出た。
 憲兵たちに囲まれる。
 しまった、とフレッドはほぞを噛んだ。小手先のごまかしなど最初から無駄だ。見知った顔が何人もいるではないか。
「お気の毒ですが、あなたたちの身分証明は凍結されています。出国はできません」
 剣をたずさえた憲兵が四人の背後に回った。
「待ってくれ、話を……」
「お話でしたら場所を変えてお聞きしましょう。おい、この者たちを連行しろ」
 抵抗するすきも与えられず、拘束される。
 チェスターに向かって、上官らしき憲兵は言った。
「その子どもは当局から保護要請が出ています。こちらに渡しなさい」
「ばかをいえ。なにが保護要請だ。口封じをする気だろうが」
「あなたには誘拐の容疑で逮捕状がでています。ヤンス先生、あなたも。お嬢さんは共謀罪の疑いがありますね」
 チェスターはあっけにとられて目を剥いた。無茶苦茶だ。事実捏造にもほどがある。
「少年を確保」
「おい、やめろっ! ちびすけ」
 力ずくで引き離されて、チェスターは縄をかけられた。テッドは二人に両脇を固められて、身動きがとれない。
「こわかったね。もうだいじょうぶだからね、ぼく」
 テッドはおもしろそうに憲兵を見あげた。
「ウン、ありがとう、おじさん」
 その瞬間。
 憲兵は白目を剥いてその場に崩れた。
「あ? おい!」
 テッドはもうひとりにスッと手を伸ばし、軽く触れた。まるで操り人形の糸が切れるように、身体から力が抜ける。
「なにをした、こぞう!」
「ちょっと……ね」
 テッドはゆるりと笑った。その鳶色の瞳を見て、フレッドは背筋が凍りついた。
 まただ。
 引きこんだ者を戦慄させる、強烈な違和感。
 以前は不確かだと感じたものの正体を、フレッドはようやく知るに至った。
 あれは―――悪魔の、眼だ。
「気をつけろ、おかしな術を使うぞ」
 憲兵たちは距離をおいてテッドを取り囲んだ。床に這いつくばったふたりはぴくりとも動かない。
 テッドはフレッドを見ると、顎をしゃくった。
「先生、逃げろ」
「テッドくん……」
「いうこときかないと、先生もこの人たちのようになるよ。忠告、忘れたわけじゃないよね」
「殺しちまったのか、ちびすけ」とチェスターがわめいた。縄から逃れようと必死だが、がっしりと腕に食いこんではずれない。
「殺しちゃいない。害のなさそうな人たちだったから、適当に”もらった”だけ。目を覚ますまでだいぶかかると思うけど」
 テッドはくすりと笑って、意味不明なことをつけ加えた。
「おかげで、だいぶ調子があがってきた。悪いね」
 先ほどまでのような苦しそうな呼吸はしていない。それどころか、涼しげな表情で唇をなめまわしている。
 テッドは次に憲兵たちを眼で追った。最前列がざわりと一歩退く。
「その人の縄、ほどきなよ」
 簡潔に命令する。十歳の少年の口調とは思えない。
 だれ一人として動けなかった。
 遠巻きに包囲しながら、おかしな子どもの様子をうかがう。
「フーン……」
 テッドは白い包帯を巻いた右手を頬にあてた。
「じゃあ、つぎに相手になってくれるのは、だれ」
 そのせりふが終わらぬうちに。
 女性の悲鳴が空気を切り裂いた。
「イヤぁァッ!」
 カミラの喉元に剣を突きつけた憲兵が、テッドに向かって威嚇した。
「こぞう、両手を頭のうしろに回せ。さもないと、この女が痛いめに遭うぞ」
 テッドは冷たい眼で憲兵を見、スッと手をあげた。
「……死にたい?」
 包帯が白い軌跡を描いて空を移動する。
「我が呪いの紋章、ソウルイーター……汝の御心を、戦いの力を、我に与えたまえ。我の敵を……打ち倒せ」
 それは祈りにも似たつぶやきであったが、カミラははっきりと聞いた。
 過去の忌まわしき記憶と交差する。
 彼女は、絶叫した。
「……ダメよ、テッド! それを使っちゃ駄目!」
 剣を持った憲兵がもんどりうって倒れた。中途半端に阻止されたエネルギーは行き場をなくし、わずかにさまよったあと、詠唱者のもとに戻ってきた。
「……っ」
 急激な目眩に襲われ、テッドはふらついて膝を折った。その隙をついて勇気ある憲兵たちがいっせいに飛びかかった。後ろ手に縛られ、地面に転がされたテッドは小さく呻いた。
「魔法を使うとだれか報告を受けていたか?」
 人をかきわけ、肩章をつけた上官服の男がテッドに歩み寄った。包帯に目をやり、「その下か」とつぶやく。
「ユーノスさま。いまの魔法は、いったい」
「さあ、な。ただ、非常に興味深い……調べてみる価値は、あると見た。おい、そこの女」
 ユーノスと呼ばれた男はカミラを向いた。
「おまえはこれがなにか知っているようだな」
 カミラは頬をひきつらせ、恐怖に碧色の眼を見開いた。なにも言うまいと、唇を噛む。
「言え。痛いめに遭いたくなかったらな」
 刃がきらめく。
「も、紋章……闇の」
「闇の? ほう」
 国家保安司令部指揮官、ユーノス・オーウェンは、神経質そうな笑みを漏らした。この男も、権力に溺れ、特権を私事につかうことに慣れきった官僚のひとりであった。
「こぞうはもらっていく。そっちの女もな。当局には適当に口裏をあわせろ。男どもは送り返して、牢屋にぶちこめ。あとの処罰はやりたいやつらにまかせておけばよい」


最終更新日:2006-09-30