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根の村 麦穂の墓【中編/交】

 麦におおわれた墓所の丘から、集落までほんの二分ほどの距離だ。村はわずかに十戸ほどで、家々はみな素朴な造りをしていた。
 勾配のある緩斜面だからであろう、家の土台は背丈よりも高い。あるいは積雪対策なのかもしれない。屋根板から壁面、根太に至るまですべて木製。赤月帝国でも地方ではまだこのような建造物が見られるが、それよりもはるかに粗末で、貧しげな感じをルーファスに与えた。
 集落の中央にある井戸は共同なのであろう。夕餉の支度をしていたらしい女性たちが一行に気づき、洗っていた野菜を置き去りにしてそれぞれの家へ駆け込んでいった。
「だーから、不審者じゃないっつーのに」と仏頂面はビクトール。
 テッドはいつのまにかクマみたいな大男が気に入ったらしく、父子のようにその手をとっていた。あのテッドからは想像もつかないほど、人懐っこい子供だ。
「しょうがないよ。みんなよそ者を見たのははじめてなんだから」
「そういうボウズは怖くないのか?」
「うーん、そんなにはね。わるい人じゃないってわかったから、ぼく、ともだちになれたらいいなーって思うな」
「トモダチ、ねえ」
「ウン、外の話をいっぱい聞きたいし。クマさんはたくさんお話を知ってるんでしょ?」
「クマ、言うな……」
 なかなか気の合うコンビなのかもしれない。二人の後ろを歩きながらルーファスは小さなテッドばかりを目で追っていた。
 幼い手がするりと離れる。ルーファスは上を見あげた。ここがテッドの”家”なんだ、と切ないほどの感慨を抱きながら。
「ただいま!」
 元気よく階段を駆け上がる。ああ、グレッグミンスターの小路に住む子供たちと同じだ。テッドにも帰る家があったのだ。迎えてくれる家族があったのだ。
 テッドは息急き切って、叱られないうちにと弁解をはじめたようだ。一生懸命丸出しの声が家の中から聞こえてくる。
「あのね、おじいちゃん、なんにも言わないで。怒らないで。あの人たち、ほんとにアレをとりにきた人じゃないんだ。ねえ、もう一度話を聞いてみてよ。ねえったら」
「お邪魔……していいものかねえ」
 ビクトールは階段に足をかけたまま困惑顔でクレオに助言を求めた。なんで私に振るんだ、という顔を見せたが、ため息をつくと無言で階段をあがっていく。
「こんばんは。失礼します」
 クマよりよっぽど役に立つ。
 予想に違わず慇懃無礼な挨拶が返ってきた。
「お引き取りくださいと、申し上げたはずだが」
 クレオは怯まなかった。
「ご無礼は承知の上です。ですが、わたしたちも無為無策のままここを去るわけにはいかない事情があります。もちろん、わたしたちはあなたがたに危害を与えに来たのではありません。それだけは信じてください」
 ルーファスはクレオの陰から老人にぺこりと頭を下げた。口をへの字に曲げたテッドがルーファスを心配そうに見る。
「……中に入れ。民たちの心が騒ぐ」
 老人は息をひとつ吐いて、言った。
 テッドはにっこりと笑って、祖父の気が変わらないうちにとビクトールを中に押し込み、扉を閉めた。
「もてなしはせぬぞ」
 素っ気ない老人のかわりにテッドがてきぱきとイスを運んだ。外観と同様、華やかさのまるで感じられない室内はおよそ村長の家らしくなく、いかにその暮らしが閉鎖的であるかを再認識させるにじゅうぶんだった。
 だが、あたたかい。人の生活の匂いがする。
 テッドはふっと、グレッグミンスターでテッドが寝起きしていた家を思い出した。いつも寒々として、何者をも拒んでいるような、彼の家。
 テッドは、いつの日かこのあたたかみを自ら棄てるのだ。
 あたたかみすらも欲さぬくらいに、深く深く傷つくのだ。
 そのとき、ルーファスはハッとした。ここにいる無邪気なテッドは、過去のテッドだ。紋章に縛りつけられる以前の、しあわせなテッドだ。
 いつかはわからないが、宮廷魔術師ウィンディがこの村を訪れ、人々の暮らしを灰にする。おそらくはそのときテッドは村に隠されたソウルイーターを受け継ぎ、あまりにも長すぎる旅に出るのだ。
 だとしたら。
 過去を、変えられるかもしれない。
 ルーファスの胸が高鳴った。過去を変える?
 それは恐ろしいまでの神への冒涜に思えた。握りしめた右手が血の気を失った。
 いまなら、テッドを救える。
 頭の中にあのときのテッドの声がガンガンと響いた。
『ルーファス、たすけて』
 クロン寺の住職は言った。これから待つものを受け入れろ、と。
 このことか。
 決断しなければいけないのか。
 過去が歪められ、ウィンディの襲撃が未然に防がれたら、テッドは人としての生涯をこの地で終え、いつかあの麦の穂になるだろう。
 ぼくと出逢うこともなく。
 ぼくは、テッドの記憶をすべて失うのかもしれない。
 それは永遠の別れを意味する。はじめからなにもかもが無。出逢うことのなかったぼくたち。あるはずのなかった日々。テッドの笑顔も、泣き顔も、ぼくのもとには戻ってこないのだ。
 それでも─────いい。
「おにいちゃんも、すわって」
 その声で我に返った。声のした位置を、見下ろす。
 ルーファスよりわずかばかり背丈の低いことをコンプレックスにしていたテッドが、こんなに小さい。明るい黄のセーターがよく似合う、屈託のないほほえみ。
「ありがとう」
「どうしたしまして」
 役に立てたことがいちいち嬉しいらしい。照れたように、自分もひとまわり小振りのイスに腰をおろした。そこがテッドの定位置のようだった。
 全員が居場所を決めると、老人は静かに口をひらいた。
「……この子は、曇りのない目でおぬしらを敵ではないと認めた。だが、敵でないのならなおさらのこと、一刻も早くこの地から立ち去ってもらわねばならぬ。その前に訊こう」
 夜のように穏やかで、蝋燭の炎より儚げな口調だったが、老人の目には険しい色が浮かんでいた。
「おぬしらは、なぜこの村へ来ることができた。何の目的で来た」
 その問いに答えたのはルーファスであった。
「なぜなのかは、ぼく自身にもわかりません。なにかの力に導かれたとしか……。でも、ひとつだけわかったことがあります」
「なんだ?」
「テッドです」
 全員の目がルーファスを向いた。テッドも、目をぱちくりさせている。
「この子が、なにか……?」
 ルーファスは少しだけ言葉を戸惑ったが、決したように言った。「ぼくは、テッドのことをよく知っています。はじめは信じられなかったけど、ううん、いまもほんとうは混乱してるんだけど……この子は、テッドなんです」
「何が、言いたい?……おぬしは」
「理解してくださいとは、言いません。ぼくだってなにがなんだか。テッドが目の前に現れたとき、ほんとうに驚きました。だって、テッドは……」
 ルーファスの言葉はそこで途切れた。唇が震える。
「……だって……テッド、は………」
 もう、いないんだ。
 その言葉を呑み込んだ瞬間だった。ルーファスの目が驚愕に見開かれた。
 右手の”存在”が大きく鼓動した。
「……あっ!」
 鋭い痛みにも似た激しい衝撃にルーファスは反射的に右手を掴んだ。その刹那。
 急速に視界が狭まり、闇に墜落した。
 上下左右のまったくない、音も感覚も感情すらも奪われた真の暗闇。
 ルーファスの目が一点に注がれた。
「テッ……ド?」
 暗闇のなかでそこにだけ、確かな存在を感じたのだ。
 少年も気づいて驚きの声をあげた。
「ルーファス……か?」
 一瞬の出来事だった。
 ルーファスは激しく呼吸を再開した。光の世界に戻されたのだ。
 びっくりしたようなクレオとビクトールの視線をあびながら、ルーファスは病的な喘ぎを繰り返し、かすれた叫びをあげた。
「テッドが、いた……!」
「ええっ?」
 クレオらは、呆然として顔を見合わせた。なんの前触れもなくルーファスががくんと前屈みになってイスから床に落ち、それと同時に老人もまた、右手を押さえながら昏倒したのだ。
「ぼ、ぼく? ずっとここに……」
 おろおろと小さなテッドは言った。そして老人のほうを向くと、「おじいちゃん!」と叫んだ。
 老人は自分の右手を凝視したままふらりと立ちあがり、信じられぬと言うように呻いた。
「……い、いまのは……テッド、なの、か」
「テッドだった! テッドがいたんだ!」
 ルーファスは声を限りに絶叫した。「テッドは生きてる! 生きてるんだ!」
 涙がとめどなく流れた。ためこんできたものが一気に張り裂けた。皆が気を遣ってルーファスにそのことを思い出させまいと振る舞い、だからルーファスも忘れたかのように演じじっと耐えてきたのだった。
 ぼくは、テッドを信じると約束したのに、裏切った。
 不確かなものに惑わされほうが、テッドはもう殺されてしまったのだと─────そう思っていたほうが、らくだった。
 信じることを、諦めたんだ。ぼくは、テッドを諦めることで先に進めると思っていた。
 テッドは約束を守った。生きて、ぼくを待っていたのに!
「……テッド!」
 ルーファスは激しく嗚咽した。見咎める者のいるはずもない。解放軍のリーダーに昇ってからの彼は感情を吐き出すことをやめた。そのほんとうの理由を、いつもそばにいたクレオは身を切るほどに理解していたのだ。
 たまりかね、クレオはイスを蹴ってルーファスに駆け寄った。その身体を姉がするようにそっと抱きしめる。深い悲しみが波のように伝わってきて、クレオも噎び泣いた。
 老人は憔悴した表情で、イスにもたれた。テッドが心配そうに寄り添う。
 年老いた灰色の瞳が、小さなテッドに悲しげに向けられた。何か言いたげに唇を震わせ、だが静かに閉じる。やがて視線はルーファスに移された。
「おぬし……」
 それだけを呟く。
 ルーファスは力なく頭をあげた。その右手がゆっくりと動いた。
 老人の右手も掲げられた。そして紡がれる、絶望の声。
「なんということだ」
「ぼくは……」
「言わずとも……わかる」
 老人は掲げた右手を祈るように胸にあてがった。「ソウルイーターの意志じゃ。なんという……強欲さであろう。こやつは、つながりを持った者をけして手放しは……せぬ。そういうことじゃろう」
 老人の語る言葉をルーファスはぼんやりと聞いていたが、多くのことが急にわかったような気がした。この老人もまた、呪われた紋章の継承者だということ。老人の右手からテッドの右手へ、そしていまはルーファスの右手で息づくソウルイーターは、つながりを持った宿主たちをその中に取り込み邂逅させたのだということ。
 そして。
 ぼくはテッドにふたたび会うだろう。
 運命とは定められたものなのだろうか。誰か教えて欲しい。ぼくはあまりにも無力だ。ぼくがソウルイーターを継承したことに、なにか意味があったのだろうか。
 その答えは、きっとテッドが知っている。
 一度は失いかけた道が、また見えたような気がした。
「おじいちゃん? どうしたの、ぐあいわるいの?」
 うなだれた老人の痩せた背をテッドは慣れぬ手つきでさすった。その小さな身体が抱きすくめられる。
「……どうしたの、おじいちゃん? くるしいよ」
「テッド……わたしは、運命を受け入れねばいかぬのか……」
「おじい、ちゃん」
「わたしは、おまえに冷たくあたってきたのに……おまえは、それでもわたしを慕ってくれた。いい子じゃ。いい子じゃなあ、テッド」
「……あ……」
「じいちゃんを、恨め……テッド………」
 その声をかき消すように、扉が荒々しく開けられた。 


そして物語は怒濤の勢いで原作から遠のいていくのです(続く)。
ああ、ここだけの話ですけどね、私は、時間旅行という貴重な体験をなさった(気の毒な)面々の顔ぶれを綺麗サッパリ忘れ真下(マテ)。

2005-11-13