アールくん (1/2)
特別寄稿
読者のおひとりである、アールさんからいただきました。
■目次
Pages: 1 2
線路はつづくよ、どこまでも
****インビジブル・ハンド、旅に出る****
―――俺は一体何をやっているんだ?
列車のデッキに凭れて、鉄人はドアのガラスごしに流れてゆく景色を、ぼんやりと見つめていた。紅葉のピークをすっかり過ぎた茶色の山並みの手前に、刈入れを終えた茶色の田園風景がどこまでも広がっている。もうすぐ本格的な冬がやってくる。
隣の車両からは、遥兵たちの騒々しい笑い声が途切れることなく、ひっきりなしに聞こえてくる。
くそっ。鉄人は思わず顔をしかめて舌打ちした。
彼ら―――鉄人と、遥兵、時雨努、経夢人、そしてノエル―――が乗っているこの普通列車は、亀の歩みでひたすら北を目指している。目的地は、秋田。遥兵の故郷だ。
早朝の一番列車に乗って、はや6時間。目的地の秋田まで、まだ半分も来ていない。せめて新幹線とか、飛行機に乗ればよかったのだが、貧乏学生にはそんな金はなく、仕方なく普通列車を延々と乗り継ぎ、気の遠くなるような時間をかけて東京から遥か北陸の地を目指しているのだった。
事の発端は、鉄人と遥兵の他愛のない口論だった。
とある日の昼さがり、皆で食堂の定食をつついていた時のことだった。どうにも東北なまりが抜けきらない遥兵を、鉄人がいつもの調子でからかった。
「あーあ、これだから田舎モノは。何言ってんのかわかんねぇ。いい加減標準語話せよ」
すっかり頭に血が上った遥兵は、思いつくまま暴言を吐きまくり、しまいには皆がもう聞き飽きたお国自慢を延々と始めたのだった。
「秋田はいいぞ。空気は旨いし、景色は綺麗。きりたんぽも美味い。特にウチの実家のきりたんぽは絶品なんだ」
そこへ、二人のやりとりを大人しく聞いていたノエルがぽつりと口を挟んだ。
「・・・僕、行ってみたいな。遥兵の故郷」
「おう、いつでも来いよ!うちのきりたんぽは射矢のまんじゅうなんかより、ずっと美味いぞ」
鉄人がふんと鼻で笑おうとしたところに、時雨努と経夢人までもが同時に身を乗り出した。
「そうだな、俺も遥兵の故郷とやらを見てみたいな」
「僕も、きりたんぽ食べてみたい」
「よっしゃ!そうと決まったら、みんなまとめて招待してやるぜ!」
中間考査も終わり、どことなく気が抜けていた彼らは、降って湧いた旅行の話にすっかり夢中になってしまった。一人ためらう鉄人も強引に参加させられることになり、秋田旅行の計画は着々と進められていったのだった。
―――俺は・・・一体何をやっているんだ? こんなところで。
鉄人は改めて大きなため息をつき、再びのんびりと流れる景色に目をやった。こんな調子じゃ、秋田に着く頃には夜になってしまう。明日は日曜日。多分月曜日はサボることになるだろう・・・帰ったら、確実に絵麗亜のキツーイお灸が待っている。ああ、何て言い訳をしようか。
鉄人は目を閉じた。ごとんごとんと、壁に凭れた背中から伝わってくる穏やかな振動ですら、鉄人の不安と焦燥を掻き立てる。
―――俺はこんなことをしている場合じゃないのに・・・。
被験者―ラットとしての苦痛だらけの日々から逃れて、絵麗亜の元で一時的に平穏な日々を過ごしているけれど、この生活が長く続くとはないことを鉄人は知っていた。自分を追い詰めようとしている何かが、確実に動き出している気配を感じる。ノエルが現れた時点で、予感は確信に変わった。
奴らはどこからやってくる?いつやってくる?また、逃げなければならない。捕まる訳にはいかない。一人の人間としての生き方に、ほんの僅かではあるが希望を見出してしまった今、もうラットに戻ることはできない―――
鉄人はおもむろに目を開けた。いつの間にか田園地帯は終わり、民家がまばらに点在する小さな町が見えてきた。ゆっくりだが、確実に列車は目指す方へ進んでいるようだ。
「・・・鉄人、そろそろ次の駅に着くよ」
車両の扉が開き、ノエルが顔を出した。
「わかってるよ」
鉄人は膨れっ面で返事をした。次に停まる駅では、5分の停車時間がある。さっき皆でやったトランプであっさり負けた鉄人は、罰ゲームとして、この停車時間の間に5人分の駅弁とお茶を買ってこなければならないのだった。
鉄人の隣に立ち、ノエルはくすくすと笑った。
「鉄人って、賭けが絡むとゲームに弱いよね。この前もジュースを掛けたじゃんけんにあっさり負けてたし、その前も掃除当番を賭けたあみだくじにまんまと当たって・・・」
「もう放っといてくれよ!第一お前が秋田に行きたいなんて言い出さなければこんなことに・・・」
「あっ、着いたみたいだ」
鉄人の愚痴をさらりと交わして、ノエルは頭上のスピーカーを見上げた。
『次は■■■駅・・・。ここでは特急待ちあわせの為、5分ほど停車致します』
アナウンスと共に列車はスピードを落とし、小さなプラットフォームに滑り込んだ。
「急がなきゃね。僕も付き合うから」
「・・・ふん」
プシューと間の抜けた音を立てて、ドアが開く。「・・・行くぞ!」
二人はホームに降り立ち、ぐるりと周囲を見回した。しかし彼らの降り立ったホームにはキオスクは見当たらない。焦ってきょろきょろする鉄人の腕を掴み、ノエルが線路を挟んで向かい側のホームを指差した。
「鉄人!あれ!!」
そこにはキオスクは無かったが、「■■■名物 まぐろ弁当」の幟を掲げたワゴンを引く売り子のおばさんの姿があった。まぐろ弁当だって・・・!鉄人は思わず叫んだ。
「おばさん!そこのまぐろ弁当売ってるおばさーーーん!!」
おばさんは驚いてこちらを振り返った。
「今そっちに行くから、まぐろ弁当とお茶5人分、袋に入れておいて!!」
そう言うやいなや、隣のホームに続く連絡通路の階段を夢中で駆け上がった。ノエルも慌ててあとに続く。
息を切らせて弁当とお茶の袋を受け取り、お金を手渡した所で、非情にも発車のベルが鳴り響き、二人は愕然として顔を見合わせた。今から走って戻っても到底間に合いそうにない。
まずい・・・こんなちっぽけな駅に取り残されるなんてごめんだ!
鉄人はホームを隔てている線路の左右をちらりと確認してから、ノエルの腕を掴んで走り出した。
「よし、ノエル・・・ショートカットだ!」
「ええっ?」
唖然として見送るおばさんの視線をよそに、二人は線路に降り、急いで隣のホームによじのぼって列車に飛び乗った。安全確認の為にホームに立っていた車掌も、目を剥いて二人を見ている。
転げるように列車に飛び乗ると、背後でプシューと扉が閉まり、列車は何事も無かったかのように、ゆっくりと動き出した。
「はぁ、はぁ・・・っ」
二人はたまらずデッキに弁当を放り出し、座り込んで暫くぜいぜいと荒い息をした。
「はぁはぁ・・・もう・・・無謀なんだよ・・・・てっ・・・は・・・」
「うっせー・・・ああでもしないと、乗り遅れ・・・はぁはぁ」
「あはは、ご苦労ご苦労!」
勢いよく車両の扉が開き、満面の笑みを浮かべた遥兵以下2人が顔を出した。3人は一部始終を窓から見ていたのだ。
「発車のベルが鳴った時は、もうだめかと思ったぜ」
「まさか線路を乗り越えちゃうとは思わなかったなぁ」
「見てて面白かったよ。スリルあって」
鉄人はよろよろと腰を上げて、勝手なことを喋り捲る3人に虚ろな目を向け、呟いた。
「俺は・・・一体何をやってるんだ・・・?」
列車は遥か北を目指してひた走る。
昼下がりの鈍行列車は乗客もまばらで、鉄人たちの乗る車両にいるのは、彼らの他に、母子連れが一組と、どこかくたびれた初老の男が一人だけ。
鉄人とノエルはボックス席に向かい合い、ぼんやりと窓の外を流れる景色を眺めていた。通路を挟んで隣のボックス席では、騒ぎ疲れた遥兵たちが、高いいびきをかいて眠りこけている。
「・・・暢気な奴ら」
弁当の容器や食べ散らかしたお菓子のゴミに埋もれて気持ち良さそうに眠る三人を一瞥して、鉄人は呆れたように呟いた。
「いいじゃない。なんか・・・青春って感じでさ」
ノエルが青い瞳を細めて微笑む。鉄人はフンと鼻を鳴らして、再び窓の外に目を向けた。
「なんか不機嫌そうだね」
「当たり前だ」
鉄人は仏頂面で吐き捨てた。
行きたくも無い秋田に無理矢理連れてこられ、ゲームに負けて罰ゲームをやらされ、たかが弁当を買うために無駄に体を張り・・・その上何といっても、命懸けで手に入れたまぐろ弁当のまぐろは、すっかり鮮度が落ちており、とても美味しいと言えるような代物では無かったのだ。(鉄人はグルメではないが、何故かまぐろにはうるさい)
それに・・・
ここ最近、片時も脳裏を離れることの無い不安。この平穏な日々が、近い将来暴力的に奪われてしまうかもしれないという恐怖―――
どんなに忘れようとしても、決して消えることの無いおぞましい過去の記憶が、絶えず鉄人を苦しめる。
あの真っ白で清潔なラボの檻のような部屋。ベッドを取り巻く沢山の計器。ラットの証である、右手首にはめられた刻印入りのタグ。そして、異常なまでの執着心で鉄人を苛み続けたアルド・リンカーンウッド―――
あいつが俺を手放す訳がない。どんな手を使ってでも必ず俺を自分の元へ連れ戻そうとするだろう。それはきっと遠い未来の話じゃない。今この瞬間にも、奴はじわじわと俺との距離を縮めているに違いない。
鉄人は思わず身震いした。俺は、逃げ切ることができるのか・・・?
「・・・鉄人、何だか顔色が悪いよ。大丈夫?」
目の前に座るノエルが、心配そうに鉄人の顔を覗き込んだ。その穏やかな表情が、鉄人を更に苛立たせた。
ノエル―――『27―ラ・ダムネイション』の宿主であり、かつてラボの研究者でもあった少年。自分の境遇の一番の理解者であると同時に、自分がこの世で最も憎しみを抱いている人間たちの一人。
出会ってもうすぐ3ヶ月。ついこの間から、銀町邸で一緒の部屋で寝起きしている。
鉄人とノエルのセラフィムは、全く性質が異なるものだ。それでも、同じ苦しみ分かち合える存在に出会えて、鉄人は戸惑いながらも、素直に嬉しかった。これまで誰とも共有できなかった苦しみや不安や恐怖を、二人で支えあってゆけたなら、どんなに心強いだろうと思った。しかし、時折自分を「マウス」として冷静に見つめるノエルの眼差しにぶつかるたびに、鉄人の心は深く抉られてしまう。
分かり合いたい。親友になりたい。でも、分からない。ノエルとの距離が、上手くつかめない・・・。
「・・・お前、何だって秋田に行きたいだなんて言い出したんだよ?」
刺々しい物言いに気を悪くした風もなく、ノエルはのんびりとした口調で言った。
「うーん・・・僕、日本に来るのは初めてだし、色んな景色を見てみたいなと思って・・・今のうちにさ」
そう、ノエルの余命はあと三ヵ月余りなのだ。しかも、その死に方が尋常ではないと聞いた。それが具体的にどういうことなのか、鉄人には知りようもないし、ノエルもあえて話そうとはしない。鉄人は掛ける言葉も見つからないまま、その深海を思わせる青い瞳から目を背けた。
本当は鉄人にも痛いほど分かっている。こんな風に平静を装いながらも、いつだってノエルは苦しみの真っ只中にいる。研究者として、俺達「マウス」に行った様々な実験に対する罪悪感、同じ研究者として尊敬し、愛していた父からの一方的な決別、すぐそこまで迫っている死の恐怖―――そう、こいつの背負う物は、とてつもなく重いのだ。
二人は押し黙ったまま、じっと窓の外を見つめていた。収穫を終えた田園地帯を越え、市外地を通り過ぎ、深い森をくぐり抜け―――
鉄人はノエルの横顔を盗み見た。青い一途な瞳が、流れる景色を追っている。その目に映る全てのものを、その胸に刻み込もうとでもするように。
列車は走ることを止めない。時は流れる。ノエルの短い人生も、確実に終わりに近づいてゆく。鉄人はそれをただ見ていることしかできない。こうして同じ列車に乗っているのに・・・。
「鉄人」
ノエルは窓に目を向けたまま、硬い声で言った。
「僕だって・・・怖いよ。僕自身が死ぬことは勿論、僕が死ぬことによって起こりうる事態・・・それを考えると、本当に気が狂いそうになる」
「お前が、その・・・死んじまうとき、何かが起こるのか?」
鉄人の問いに、ノエルは静かに首を振った。
「ごめん。今は、まだ話せない」
その余りに悲しそうな表情に、鉄人はそれ以上何も聞けなかった。
「・・・なんか、悪かったな。八つ当たりするような態度とったりして」
鉄人はがりがりと頭を掻いた。
「最近、色々と不安になることが多すぎて・・・ちょっと参ってたんだ」
「うん。分かってる」
ノエルは頷き、真っ直ぐに鉄人を見て言った。
「僕はこれまで、ラボの一員として一人の人間を“被験者”として扱い、助手の立場ではあったけれど、自分の探究心を満たすために実験を繰り返してきた。僕はこの罪の意識からも、自らの身に宿してしまったセラフィムからも、決して逃れることはできない」
「・・・」
鉄人はノエルの思いつめた眼差しに耐え切れずに、思わず視線を落とした。
「残された僅かな時間の中で、僕は自分なりに過去に決着をつけなければならないと思う。だから、僕と君のセラフィムのことだけは、どうしても知っておきたい。君は研究者のエゴだと軽蔑するかもしれないけれど・・・。
でも・・・今はただ、こうして出会えた鉄人や、遥兵たちと一緒にいられることを、素直に喜んでいたいんだ。そして、忘れたくない。この世界から消え去るその瞬間まで」
「ノエル、お前・・・」
鉄人が口を開きかけたそのとき、窓の外が急に開けた。
「―――海だ!」
どこまでも澄み渡った初冬の青空の下に、陽光を受けてキラキラ光る海が、果てしなく広がっていた。その広さに二人は息を呑み、言葉を無くしたまま、じっと水平線を見詰めていた。
「・・・僕らはみんな、海からやってきたんだよね。だから海を見ると、懐かしい気持ちになるのかな・・・」
ノエルがぽつりと呟いた。額を窓に押し当てるようにして海を見つめるノエルは、近い将来、あの海に還ってゆく運命を当たり前のように受け入れているように見えた。
ああ、そうだな、と鉄人は思った。
どんなに歪んだ生命であっても、俺もノエルもあの海からやってきた、ひとつの生き物にすぎない。暴力的に不老の力を与えられたとしても、死はいつか必ずやってくる。
いつかは還るんだ、あそこに。俺も、ノエルも、ハーもシグもヘルムもみんな・・・
「んあっ?すげぇ、海じゃん!日本海!」
「あっ、ホントだ!」
「すごい!綺麗だー!」
いつの間に目を覚ました遥兵たちが、鉄人とノエルの席になだれ込んできて、各々感嘆の声を上げた。
「あー、東京を出発してはや7時間、ようやくここまで来たかぁ」
「・・・といっても、まだきっと新潟あたりだろ?先は長いぞ」
遥兵の感慨深げな言葉に、時雨努が間髪入れずに水をさす。
「あーあ、ホントに秋田って遠いなぁー。なんか、地の果てって感じ」
大あくびをしながら呟いた経夢人の不用意な言葉は、運悪く遥兵の地雷を踏んでしまった。
「んだと?!人の故郷を地の果てとか言いやがったな!」
遥兵は経夢人の襟首を掴もうとして、突然にやりと笑った。
「・・・そういやお前、さっきの話が終わって無かったな」
「えっ・・・ええ?」
「そうそう、さっきのは・な・し」
時雨努も意味深な笑顔で相槌を打ち、あっという間に経夢人を後ろから羽交い絞めにしてしまった。鉄人とノエルはきょとんとして顔を見合わせた。
「何だよ、さっきの話って?」
遥兵が経夢人のおでこを小突いて言った。
「こいつさ、1の2の裏美江礼実と付き合ってるらしいんだ」
「ええっ、裏美江礼実って、裏美三姉妹の一番上だろ?」
「髪が外ハネの可愛い子だよね?」
鉄人もノエルもここぞとばかりに身を乗り出す。
「そんなんじゃないって!ちょっと一緒に帰っただけだってば!」
「嘘いうなっ!白状しろ!さもないと・・・」
経夢人の弁解などには耳も貸さず、遥兵は傍らのバッグから取り出したポッキーの箱を、身動きの取れない経夢人の目の前にちらつかせた。
「これを全部お前の鼻の穴にねじ込んでやる!!」
遥兵の剣幕に、皆爆笑したが、経夢人だけは涙目になっている。
「うそっ?か・・・勘弁して!ホントに何でもないんだってば!!」
「勘弁なんてするものか!覚悟しろコノヤロー!自分だけいい思いしやがって!!」
遥兵はポッキーの箱をベリベリとこじ開けると、本当にポッキーを次々と経夢人の鼻に突っ込み出した。
「ぎゃーっ!痛い、いたいーーー!」
「さあ言え!いつから付き合っているんだ?馴れ初めは?どこまでいった?」
鉄人もノエルも、目の前で展開される余りにもバカバカしい光景に、さっきまでの感傷などすっかり忘れ、涙を流して笑い転げた。
「よしっ、ハー。俺も手伝う!」
「よっしゃ、テツ、お前は左な。俺は右の穴を攻める」
「まかしとけ!」
ノエルもちゃっかりと経夢人のばたつく足をしっかりと押さえ込んでいる。
「苦しかろう、恥ずかしかろう、吐けば楽になるぞ」
「くっ・・・たへてみへるは、これひきのこと!」
「何?耐えてみせるって?よし分かった。テツ、ガンガンいくぞ」
「おう!」
「ぎゃー!やめてーーーー!」
「ぎゃははは!!」
4人の陽気な笑い声と、その他1名の悲鳴が、明るい午後の日差しを受けた車両に響き渡る。
『ああ、どうかもう少しだけ、こんな時間が続きますように―――』
―――俺は一体何をやっているんだろう。
鉄人は、今日何度となく投げかけた疑問を再び思い浮かべて、思わず苦笑した。
そう、列車は走り続け、景色は流れ続ける。今この瞬間もあっという間に背後に遠ざかり、全ては過去になってゆく。
いつだって、先は見えない。たとえ行く先にどんなにおぞましい罠が待ち受けていたとしても、俺はこの列車を降りることはできないのだ。老いることを知らない自分は、いつかはたった一人残されて、気の遠くなるような長いレールの上を、孤独だけを抱えて、あてもなく揺られていくのだろう。
でも、今は。今だけは、こいつらと思い切り笑っていよう。同じ列車に乗り合わせることのできた喜びを感じていよう。
そして、ノエルと肩を寄せ合えるこの一瞬一瞬を、胸に焼き付けよう。
いつか列車から降りるとき、そのときが来たら、遥か後ろに流されていった景色を振り返って、大声で笑ってやるさ。
そう、だから今だけは―――
5人を乗せた普通列車は、秋田を目指して走り続ける。
―――線路は続くよ、どこまでも。
<了>
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個人的に贈ってくださったお話を、わがまま申しあげて掲載させていただきました。
あのね、こういう縁をなんというんでしょう? ほんとうにたまたま立ち寄ってくださったここで、普段はあまり読まれないというオンライン小説を目にとめていただいて。アールさんは小説をお書きになるのですが、二次三次の創作はこれがはじめてだそうです。お話をいただいたことはもとより、メールの内容にも胸がいっぱいになりました。
お返事で精いっぱいの気持ちをお伝えしたつもりなので、ここでは多くを語りません。ほんとうにありがとうございました。このお話、ずっと大切にします。
2006-11-19
ワールズエンド・スーパーノヴァ
****インビジブル・ハンドの年越し****
今年も残すところあと数時間。
万年床と化した布団の上に寝転んで、鉄人はぼんやり天井を見上げていた。同室で寝起きしている彼の仲間たちは、多分他の生徒たちに混じって、談話室に設置してあるテレビで、紅白歌合戦あたりでも見ているのだろう・・・約1名を除いて。
その“約一名”こと遥兵は、絵麗亜の命令で、一人寂しく調理室で数百人分の年越しソバを茹でている。夜な夜なこっそりフロアDの倉庫で食糧を漁っているのが、絵麗亜にバレてしまったのだ。今頃ふてくされつつ、巨大な釜の中でもうもうと湯気を立てる、膨大な量の麺と格闘しているに違いない。
―――今年は・・・本当に色んなことがあったな。
鉄人は苦笑して目を閉じた。本当にめまぐるしい一年だった。ラボからの逃亡、日本での一高校生としての生活の始まり、ノエルとの出会い、そして・・・今はこうして自分とノエルのために、大勢の生徒たちがこの“梁山泊”に集い、一緒に年を越そうとしている。
鉄人は、腫れ上がった口元にそっと手をやった。遥兵の容赦ない鉄拳と、ノエルの平手打ちの跡だ。
じんじんと熱を持つその傷の痛みは、苦痛よりも、どこか苦くて切ない思いを鉄人の心にもたらした。危険を顧みず、仲間として自分と一緒にいてくれようとする遥兵の想い、自分の分まで生きて欲しいというノエルの一途な願いが、痛みと一緒に、胸に深く突き刺さる。
ノエル、遥兵や時雨努や経夢人、絵麗亜、そしてその他大勢の学園の生徒たちが、鉄人と運命を共にしようとしてくれている。沢山の人たちの温かさに触れつつも、鉄人の怯えは頂点に達しようとしていた。
傷に当てた掌に伝わってくる熱が、鉄人の不安と焦燥を掻き立てる。沢山の人を巻き込んでしまった今、もう、後戻りはできない。
俺は、彼らを守りきることができるのだろうか・・・?
―――おーい、テツ!
部屋の外から、遥兵の呼び声が聞こえたような気がした。そういえばさっき、ソバ茹で作業を手伝う約束をしたような気が・・・
「うう・・・めんどくさい・・・」
鉄人はドアに背を向けるようにして、体を丸めた。
何だかとても疲れていた。心も体も、クタクタだった。波のように押し寄せてくる眠気に耐え切れず、鉄人はつい目を閉じてしまった。
夢の中で、薄闇に沈む見知らぬ街の中を、鉄人は一人きりで走っていた。
走りながら、鉄人はあたりを見回した。ここは一体どこだろう?東京でも、プエルトリコでもない、どこでもない、不気味なほど無機質な街―――
人影はおろか、生き物の気配ひとつ感じられない。耳が痛いほどの静寂。ただ、アスファルトを蹴る自分の乾いた足音と、激しい息遣いだけが周囲の空気を震わせている。
広い道路沿いには、無人の車がうち捨てられたように、ぽつりぽつりと停まっている。立ち並ぶ高層ビルの夥しい数の窓には、灯り一つついておらず、それらは暗黒の深淵を覗かせるかのように、ぽっかりと口をあけている。
鉄人は理由の分からない焦燥感に駆られて、死に絶えたような街の中をやみくもに走り続けた。頑丈なアスファルトの道も、鉄人にとっては、底なし沼に薄く張った脆い氷のように感じられる。今にも足元に亀裂が入り、あっという間に冷たく暗い水底に引きずり込まれてしまいそうだ。
荒い呼吸を繰り返し、爆発しそうな心臓を鷲掴みするように、胸元をぎゅっと押さえる。この道の先に何が待っているのか、鉄人は知らない。でも、立ち止まるわけにはいかないという本能が、足を止めることを拒絶する。
体が・・・重い。胸が、苦しい。
この体ひとつで駆け抜けてきた今までとは、何かが違う。今は、沢山の仲間が自分の傍にいてくれている。・・・それが、とてつもなく重い。怖い。立ち止まれない。自分が傷つく恐怖より、自分の災厄に他人を巻き込むことが怖い。
「・・・もっと遠くに・・・逃げなきゃ・・・」
行く先も分からないのに、激しく喘ぎながら、自分を鼓舞するように呟く。
今まで感じたことの無い種類の恐怖を抱え、鉄人はただただ、怯える心に鞭を打って、あてもなく走り続けるしかなかった。
不意に目の前の景色がぐにゃりと歪み始め、鉄人は驚いて足を止めた。ビルも、車も、真っ直ぐに伸びていた大きな道路も巨大な渦に飲みこまれ、気がつくと目の前には何も無い、漠とした広大な虚無が広がっていた。
道はもう無かった。
鉄人は呆然と、その場に崩れ落ちた。
―――ここはどこだろう?行き止まり?世界の・・・終わる場所?
肩で息をしながら、鉄人は打ちのめされたように目を閉じた。
所詮マウスでしかない自分は、大人しくケージの中で、与えられた輪の中をぐるぐると走っていればよかったのだ。
俺は、途方も無い夢を見すぎた。最初から知らなければよかった。自由も、人のぬくもりも、優しさも、全部・・・
「・・・テッド」
いきなり頭の上から声を掛けられ、鉄人はぎょっとして顔をあげた。そして、息を呑んだ。
「あんた・・・」
そこには一人の老人が立っていた。自らの命と引き換えに、鉄人を囚われのケージから解放した張本人である老医師だった。鉄人は荒い息を飲み込み、ふらふらと立ち上がった。
「・・・なんだよ。あの世から迎えに来たのか?」
老医師はふんと鼻を晴らして言った。
「ばか者。私との約束を果たすまでは、こっちに来るのは許さん」
「約束・・・?何のことだよ?」
「“しあわせをつかめ”・・・私はそういった筈だ。なんのためにしつこく卵割りの特訓をさせたと思っている」
鉄人は思わず口を歪めて笑った。
「・・・あんた、俺を買いかぶりすぎたんだよ。慣れない自由を与えられて、ご覧の通り・・・このざまだ。“しあわせ”は・・・俺には荷が重すぎる」
老医師は何も言わず、じっと鉄人を見詰めている。鉄人は目を伏せ、今にも消え入りそうな声で、ぽつりと言った。
「何も望まずに、ずっとラボにいれば・・・あんたがバカな真似をしなければ、こんな思いをしなくて済んだのに・・・」
そう、今までは自分のことだけを考えてさえいればよかった。いや、自分のことすら考える必要だって無かったのだ。自分は人間の形をした、実験用のマウスなのだから。ひたすら心を殺して、一方的に与えられる苦痛も屈辱も甘んじて受け入れてさえいえれば、こんな風に心をかき乱されることも無かったはずだった。
でも、今は違う。自分がマウスには分不相応な夢を見始めてしまったがために、沢山の人たちを巻き込み、彼らを危険に晒させてしまっている。自分を実の息子のように迎え入れてくれた絵麗亜、危険を承知で傍にいてくれる遥兵や時雨努や経夢人、学園の生徒たち。そして、自分の分まで生きて欲しいと、残り少ない生を自分に託そうとするノエル・・・。
不意に、遥兵とノエルに殴られた頬がちくちくと痛みだす。大事なものが増えれば増えるほど、それらを失う恐怖が鉄人に重くのしかかる。
「・・・それでは、誰にも相談せずに一人降参して、さっさとラボに戻ればいいじゃないか」
「それは、そうだけど・・・」
「なぜ、それをしない?」
老医師は鉄人の瞳を覗き込んだ。鉄人は耐え切れずに目を逸らす。
それが、できないのは・・・。
鉄人はぎゅっと胸元を握り締めた。
・・・手放したくないから。仲間たちの笑顔と優しさを。誰かを大事に思う気持ちを。それらは時として、重い枷のように感じられることもある。それでも、いつだってそれは恐怖と孤独で冷え切った鉄人の心を暖めてくれていたのだ。
人としての心を、もう二度と失いたくない―――
目を伏せ、小刻みに震える肩に優しく手を置き、老医師は言った。
「自由を手に入れた代償は、とても重いんだよ、テッド。お前はそれを初めて身をもって知ったのだ」
「・・・」
「それを守り抜くのは、楽じゃない。確かにお前の置かれた立場は、他の人間とは少し違うかもしれんが・・・苦しんでいるのは、お前だけじゃないんだよ。この世界に生きる人間は誰もが苦しみ、もがきながら自分の人生をつかみ取ろうと必死なんだ。決して逃げてはいけない。お前の戦いは、まだ始まったばかりなのだから」
老医師は肩に置いていた掌を、腫れ上がった頬に、そっとあてた。老医師の手の温かみと、じんじんと疼く痛みが、優しく鉄人の心を包み込む。
老医師は目を細めて、にやりと笑った。
「・・・ここは世界が終わる場所なんかじゃない。ほら、顔を上げてみなさい」
老医師に促され、鉄人は俯けていた顔をおずおずと上げた。
そこにあるのはもう虚無の世界ではなく、夜明け前の薄闇に横たわる広大な大地だった。
鉄人は小高い丘の上に立ち、世界を見渡していた。どこまでも続く草原、蛇行する大河、密集する深い森、そして遥か地平線の彼方には、海があった。
静寂に満たされた濃い大気の中で、この世界に息づく全ての生命が、そっと息を潜めて何かを待っているのを鉄人は感じた。
そして、その瞬間―――
果てしなく広がる地平線の遥か彼方で、カッと眩い光が炸裂した。
「・・・っ!」
鉄人は思わず目を瞑った。熱い、怒涛の光の奔流が一瞬にして闇を蹴散らし、大地を黄金色に染めてゆく。
それはまるで、闇の中に突如として現れた超新星のように―――
強烈なエネルギーを湛えた世界が、今、目覚めようとしている。そして、鉄人の存在を、その大きな懐にしっかりと抱きとめる。
ああ、俺は確かに今ここにいる、と鉄人は思った。生きとし生けるものの一つとして、心を持った人間として、沢山の生命と一緒にここにいる。
鉄人の目から、涙が堰を切ったように溢れた。生きる喜び。たとえ耐えがたい痛みを伴う重い枷から、一生逃げられない運命だとしても、俺は生まれてきて、本当によかった。
この世界で出会った人たち、手に入れた大切なもの。・・・守りたい。全力で守ってみせる。心は消さない。いつか、この命を手放さなければならない時がくるまでは―――
いつの間に姿を消した老医師の声が、遠いこだまのように鉄人の耳の奥に響いた。
走れ、立ちどまるな。
明るいほうへ向かえ。
――――しあわせをつかめ、テッド。
「テェェェツゥゥゥ!!」
うなりを上げて飛んできた枕が顔面にヒットし、鉄人ははっと目を覚ました。部屋の入り口で、白い割烹着姿の遥兵が膨れっ面で仁王立ちしている。
「俺が必死にソバ茹でてるときに、悠長に眠りこけやがって!手伝ってくれるって言ってたくせによ!!」
「ん・・?ああ。悪い。なんか眠くて・・・」
「俺だって眠みーよ!昼間の大掃除で、さんざん理事長にこき使われて、その上年越しソバ茹で係だなんて・・・ああもう、ちきしょう!」
遥兵は鬱憤晴らしに、もう一発枕爆弾をお見舞いしようと、投げた枕を拾って鉄人の顔に振り下ろそうとした。
「やっ、やめ・・・っ?」
鉄人は硬く目を瞑って身構えていていたが、いつまでたっても枕は振り下ろされなかった。恐る恐る目を開けると、遥兵は枕を振り上げたままの格好で、固まっている。
「・・・お前、泣いてんのか?」
遥兵が驚いたように呟いた。鉄人はぽかんと遥兵を見上げていたが、おもむろに自分の顔をそっと手をやり、愕然とした。
「・・・っ!?」
掌が涙でびっしょり濡れている。みるみる頬が熱くなっていくのが自分でも分かった。
「こっ・・・これは違う!別に泣いてた訳じゃないぞ!ちょっとあくびしたら、沢山涙が出ただけなんだ!!だから・・・っ」
初めは呆然と鉄人の顔を見つめていた遥兵だったが、鉄人の慌てぶりを見ているうちに、にやにやと笑い出した。
「あれぇぇぇ、弓ノ間くん、高校生にもなって夜泣きですかぁ?まぁ恥ずかしい!これは早速シグやヘルムに報告しなくちゃ」
「や、やめろよ!ハー、お前は・・・」
「そうそう、最近弓ノ間くんは女生徒の間でも大人気だからなぁ。カッコいい憧れの弓ノ間くんが、怖い夢を見て号泣してたとか聞いたら、みんなドン引きだろうなぁ」
嬉しそうにペラペラまくし立てる遥兵の足元に、鉄人は思わずすがりついた。
「頼むから内緒にしてくれよー!一生のお願いだからさ!」
「さーて、どうしようかな・・・」
そのとき、遠くから聞こえてくるごーんごーんという鐘の音とともに、談話室の方から、わっと歓声が沸き起こった。どうやら12時を回ったようだ。
二人はぽかんと顔を見合わせた。
「・・・年、明けちまったみたいだな」
「ああ・・・」
ごーん。ごーん。ごーん。ごーん・・・・・
何となく気が抜けた遥兵も、ぺたんと鉄人の隣に座り込み、二人は暫くぼんやりと108の鐘の音と、生徒たちの歓声を聞いていた。
おめでとう。
あけまして、おめでとう!
去年は色々ありがとう。今年もどうぞ宜しくね―――
「・・・しょうがない。この煩悩の鐘の音と一緒に、お前の失態も水に流してやろう」
「ちっ。偉そうに・・・」
鉄人はごしごしと袖で顔を擦り、照れくさそうにそっぽを向いた。
二人の間に、ばつの悪い沈黙が流れた。
「・・・悪かったな」
不意に、遥兵がぽつりと口を開いた
「え?」
「ほっぺた。・・・かなり腫れちまったな。手加減しないで殴って悪かった」
「あ?ああ・・・いいよ、別に」
妙に神妙な言い回しに面食らい、鉄人は思わず隣に座る遥兵の顔を見た。遥兵は前を向いたまま、鉄人と目を合わせようとしなかった。そのどこか寂しそうな横顔に、鉄人は更に面食らった。
「おい、どうしたんだよ?ハー、何かあったのか?」
「・・・テツ」
「ん?」
遥兵は顔を上げて、今度は鉄人をまっすぐに見た。
「俺は・・・お前やノエルと違って、フツーの家庭で育った何の取柄も無い高校生だし、しかも秋田のド田舎出身だし・・・あんまりお前の力にはなれないかもしれない。だけど、俺だって・・・少しはお前の力になりてえよ。確かにお前は少し特別なのかもしれないけど、俺もお前もおんなじ生身の人間だろ?」
「ハー、お前・・・」
「とりあえずさ、そんな風に、一人きりで泣いたりするなよ。気分転換くらい、いくらでも付き合うぞ。俺の特製きりたんぽなら、いつでも食わしてやるし、麻雀だっていつでもお相手するぞ。だから、その・・・」
遥兵は後に続く言葉を必死に探していたが、やがて諦めたように勢いよく立ち上がった。
「さ・・・さてと!ノエルたちは多分談話室の方にいると思うぜ。俺たちも行ってひと騒ぎしてくるか!ほら、立てよ!」
鉄人の腕を取り、無理矢理立たせた遥兵の頬は、なぜか真っ赤になっている。
二人は肩を並べて、未だ歓声の鳴り止まない談話室に向かって歩き出した。
「・・・ありがとな。ハー」
小さく呟いた鉄人に、遥兵は照れくさそうにそっぽを向いた。
一歩一歩談話室に近づくにつれ、生徒たちの歓声も大きくなってゆく。
―――おめでとう!明けましておめでとう!
俺は、これから何度新年を迎えるのだろうと、鉄人はぼんやり思った。もしかしたら、これが最期の正月かもしれないし、永遠に繰り返される正月のうちのひとつに過ぎないのかもしれない。
隣を歩く遥兵の横顔を盗み見て、とりあえず今年はきっといい年になる、と鉄人は思った。きっと、一生忘れられないくらいいい年になる。これからどんなに熾烈な戦いが繰り広げられようとも、どんなに辛い現実が待ち受けていようとも、俺はきっと乗り越えてゆける。
こいつとなら・・・こいつらと一緒なら、俺はきっと、どこまでも行けるさ。
「おーい、遅いよ二人とも!」
「遥兵と鉄人の分のソバも取っておいたよ!」
「さっすが遥兵くん、いい具合のアルデンテに茹で上がってるぜ。秋田県民はソバとパスタの区別もつかないのかなぁー」
談話室の入り口で、ソバの椀を片手にノエルと経夢人と時雨努が、暢気に手を振っている。
「ああっ!お前ら、そのソバ心して食えよ!どんだけ苦労して茹でたと思ってんだ!!」
駆け出した遥兵の背中を追いながら、鉄人は心の中で呟いた。
『“ラ・ムエルト”。俺はもう逃げないよ―――』
<了>
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来たぞ来たぞ『超フライング年賀状』(ご本人・談)!
嬉しいです。もう心から! すてきなプレゼントをありがとうと、ほかに気の利いた言葉はないのかと身悶えたくなりますがもうそれしか言いようがないよ。俺様設定ばんざい!
弓ノ間鉄人はテッドなんだという、そんなあたりまえで、ホントになんでもないことを、あらためて噛みしめた気分です。ハッとさせられました。そうか、テツは、テッドなんだ。だよね。そうだよね。
インビジブル・ハンドは終わらないぜ……! ←ん?
2006-12-13
無人島バッドエンド ”終わりの島にて”
1.
深い藍に沈む空は、少しずつ東の水平線から白み始め、一日の始まりを告げる真新しい 陽光が、凪いだ水面をきらきらと煌かせる。
ちらりと背後を振り返ると、目指す島はもう目と鼻の先に迫っていた。
もうすぐだ。僕はオールを漕ぐ手に力を込めた。
僕の正面に小さくなって座っている鉄人の顔には、相変わらず表情らしきものは何一つ 浮かんでいない。しかしその視線はじっとその島に注がれている。
軍艦を思わせるような奇妙な島影。立ち並ぶ朽ち果てた建造物の森―――
僕らが目指すこの島は、端島という。
長崎県の南端に位置するこの小さな無人島は、かつては炭鉱で栄えた「都市」だった。 周囲1.2kmしかないこの小さな島に、最盛期には、5300人もの島民が暮らしていたという。 しかしエネルギー政策の方向転換のために閉山を余儀なくされ、職を失った人々は一人残 らず島を出て行った。
それから30年もの歳月が経ち、島に残されたコンクリートの住居群や施設街、炭鉱施設 は時と共に風化し、朽ち果て、今は打ち捨てられた無人島と化して、ひっそりと海上に佇 んでいる。
この島に行きたいと言い出したのは、鉄人だった。
たまたま立ち寄った長崎県の南端の岬で、海に浮かぶこの島を見つけ、突然あそこへ行 ってみたいと言いだしたのだ。
僕は驚いた。牡鈴学園での、あの「悲劇」が引き起こされた日から、まるで魂の抜け殻 のようになっていた鉄人が、自ら自分の意志を伝えてくるなんて、本当に久しぶりのこと だったからだ。
ああ、あの日から、一体どれくらいの月日が経ったのだろう?
僕らはあれから、僕らを追っているであろう様々な人間たちや組織から逃れるために、 あてのない旅を続けている。
逃げなくては。どこまでも、誰にも見つからないように。
・・・でも、全ては僕らの思い過ごしなのかもしれない。本当は僕らの存在など、この 世界ではとうの昔に忘れ去られ、僕らはただ自分たちにしか見えない幻から逃れようと、 空しくもがいているだけなのかもしれない。
今は無人の端島は、建物の損傷が激しく、危険なので上陸は禁止されていた。
それでも、僕は鉄人の願いを叶えてあげたくて、海岸に繋がれていた小さなボートをこ っそり拝借し、まだ陽も上りきらぬ早朝に、人目を盗んで島へと向かった。
太陽が完全に水平線上に姿を現し、頭上に初夏の澄み渡った青空が広がり始める頃、よ うやく僕らは端島の岸壁に辿り着いた。ボートを崩れた岸壁にロープで結わえ付け、僕ら は遂に島に降り立った。
瓦礫が散乱する地面を踏みしめ、ぐるりと辺りを見回し、僕は思わず息を呑んだ。
狭い島内に乱立する朽ちたコンクリートの群れは、灰色の無機質な森を思わせる。それ らを覆い尽くすように繁茂する樹木たち。吹き抜ける潮風・・・。
そのあまりにも異質な光景に呆然とする僕をよそに、鉄人はふらふらと歩き出した。
「鉄人、どこに行くの?」
巨大なベルトコンベアーの柱や、竪坑や、石炭の精錬施設が立ち並ぶ採鉱地帯を、鉄人 はまるで魅入られたように、おぼつかない足取りで歩いていく。
慌てて後を追いながら、僕は思わず声をかけた。
「ねぇ、どうして・・・この島に来たかったの?」
こんな、世界の果てのような寂しい場所に、君は一体何を求めてやってきたの?
鉄人は足を止め、こちらを振り返った。そして無言のまま首を振り、再び前を向いて歩 き出した。
僕はため息をつき、再び鉄人の後を追った。
やがて、鉄人は今にも崩れ落ちそうな変電所の中にふらりと足を踏み入れていった。レ ンガ造りの壁はあらかた崩れ落ち、中の鉄骨がむき出しになったその建物の中には、錆び 付き、もう二度と動くことの無い夥しい数の計器がひっそりと佇んでいた。
ふと天井を仰ぐ。何か嫌な予感がした。
「鉄人・・・ここは本当に危ないよ。出た方がいい」
虚ろな目で錆びついた計器の針を見つめる鉄人の腕を取り、建物の外に連れ出そうとし た、そのとき―――
頭上で不穏な音がしたかと思うと、天井のレンガが音を立てて崩れ始めた。
「危ない!!」
僕はぼんやりと立ち尽くす鉄人を咄嗟に突き飛ばし、転げるようにして建物から逃れた。 その直後、轟音と共に、朽ちたレンガの塊が、今しがた僕らが立っていた場所に落下した。
もうもうと舞い上がる砂煙に目を擦りながら、僕は体を起こした。すぐ隣で、鉄人はま だ倒れたままぐったりしている。
「・・鉄人っ!?」
僕は慌てて鉄人を抱き起こした。その目は驚きのために焦点が定まっていなかったが、 怪我はしていないようだった。ほっと胸を撫で下ろしつつも、そのぼんやりとした表情に 苛立ち、僕は思わず鉄人の肩を強く揺さぶった。
「鉄人、しっかりしろよ!あれが頭に直撃していたら、どうなっていたと思う?」
鉄人は砂埃にまみれた顔をのろのろと上げて、僕を見た。その虚ろな目の奥に、深く暗 い絶望が渦巻いているのを見たような気がした。
両肩に置かれた僕の手をゆっくりと振り払うと、鉄人はだるそうに立ち上がり、小さく 呟いた。
「・・・いいんだ」
「え?」
「いいんだ、どうなっても」
「鉄人・・・」
「ごめん、ノエル」
そう言うと、再び僕に背を向けて、再びあても無く歩き出す。
―――いいんだ、どうなっても。
鉄人の言葉が胸に突き刺さり、僕はかける言葉を見つけられないまま、無言で後を追う ことしか出来なかった。
2.
『いまから27時間後、あすの午後五時までにきみが出てこなければ、換気ダクトに神 経ガスを送りこむ』
確かにグレアム・クレイは、電話で鉄人にそう告げた。タイムリミットまで、また時間 はある筈だった。
しかし隔壁で封鎖された地下の大ホールに立てこもっていた生徒たちが、突然胸をかき むしりながら、バタバタと倒れていったのは、クレイの電話を受けてから3時間後のこと だった。
クレイは、約束を守るような人間ではない。
誰かが言っていた言葉が脳裏をよぎる。まさかあの男、本当にダクトから神経ガス を・・・!?
急に眩暈を感じて、僕は床に膝をついた。視界がぐるぐると回り出す。息が苦しい。体 が、思うように動かない―――
「・・・っ、ノエ・・・ル」
傍らには、やはり苦しそうに顔を歪めた鉄人がいた。
「あいつ・・・マジで、やりやがった・・・」
苦悶の表情を浮かべ、のたうちまわる生徒たち。彼らの悲鳴と怒号とうめき声が、大ホ ールの高い天井に反響する。それはまるで地獄のような光景だった。やはり、これは神経 ガスだ。暴動鎮圧用の催涙ガスなんかじゃない。クレイは本当にガスをすり替えたのだ。
「うう・・・っ」
僕はあらん限りの力を振り絞り、床に突っ伏している鉄人を抱き起こそうと、震える手 を伸ばした。
そのとき、突然爆音がホールに響き渡り、爆破された隔壁から、ガスマスクをつけ、銃 器を手にしたラボの研究員たちがなだれ込んできた。彼らはもがき苦しむ生徒たちを容赦 なく踏みつけ、真っ直ぐに僕と鉄人の下へやってきた。
あっという間に羽交い絞めにされ、無理矢理ガスマスクをあてがわされる。
「とりあえず君たちの中のセラフィムを無事に取り出すまでは、完全に死なれる訳には いかないからね」
やはりガスマスクを装着したクレイが僕らの顔を覗き込むようにして言った。
「全く、要らん手間をかけさせてくれた」
両腕を研究員たちにしっかり押さえつけられたまま、鉄人はマスクの下から噛み付くよ うに叫んだ。
「一体どういうつもりだよ!?約束の時間まではまだ・・・」
「気が変わったんだ」
クレイは鉄人の言葉を遮るように、冷たく言い放った。
「君達が慕うギンマチ理事長は、とても頭の切れる方だからね。下手に時間を与えてや ると、何をしでかすか分からない。それに、私も暇じゃないんだ。さっさと面倒を片付け て、君たちを連れて帰らなければならない」
「そんな・・・くそっ、離せよ!ハー、シグ、ヘルム、燕、みんな・・・」
「どのみち彼らは手遅れだ。強力な神経ガスだからね。君たちが、大人しく降参してい れば、彼らがこんな目に遭うことはなかったのに」
「こんな・・・こんなことをして、ただで済むと思っているのか?」
僕は怒りで震える声で言った。
「勿論私たちが責任を取るつもりはない。全ては、日本の機動隊がやったことにすれば いい。それくらいたやすいことだ。・・・さて、帰ろうか。君たちが居るべき場所は、ここではない。ラボの被験者用のケージの中で十分だ」
そう言うと、クレイは僕らの顔を交互に覗き込み、マスクの中から目を細めた。
「分かっているんだろう?君たちは、所詮マウスだ。人間じゃない。これ以上哀れな犠 牲者を出したくなければ、それをきちんと自覚することだ。・・・さて、引き揚げるぞ」
世間話はもうおしまい、という風に片手を挙げ、クレイは研究員たちを促し、隔壁の外 へと歩き出した。僕らは研究員たちに両脇を抱えられ、引きずられるように連れ出されよ うとしていた。
「こんなことって、・・・ちくしょう、離せってば・・・!!」
鉄人はあらん限りの力で掴まれた両腕を振りほどこうともがいた。僕はむりやり体をね じって、背後を見た。折り重なるように倒れている生徒たちの中で、もう動くものはいな かった。少し離れたところで、孤隼先生と遠藤先生が、口から泡を吹き、ひくひくと痙攣 しているのが見えた。
今はもう、うめき声もやみ、死に絶えたような静寂が辺りを支配していた。ガスマスク の中で響く自分の呼吸の音と、早鐘を打つ鼓動だけが耳の奥でうるさく鳴り響いていた。 そのとき、静寂を破るように、乾いた銃声が響き渡った。
「・・・っ?」
クレイが、突然その場に膝をついた。左足の足首に、かすかに血が滲んでいる。
「だ・・・めだ・・・その子たちを・・・離せ・・・」
声がするほうを見て、僕は絶句した。そこには、震える手で銃口をクレイに向ける理事 長の姿があった。床に四つんばいになり、激しく咳き込みながらも、その目は真っ直ぐに クレイを睨みつけている。
「その子たちは・・・あたし・・の、大事な・・・」
「これはこれは、エレノア・ギンマチ。お久しぶりですね」
痛みに顔をしかめながらも、クレイは立ち上がって理事長を見下ろした。その顔には、 残酷な笑みすら浮かんでいた。
「や・・・やめろっ!」
「理事長、逃げて!!」
僕らは同時に叫んだ。そんな僕らをよそに、クレイはポケットからゆっくりと拳銃を取 り出し、静かに銃口を理事長に向けた。
「最後にお会いできて光栄でしたよ。それでは、さよなら」
鳴り響く銃声。飛び散る血しぶき―――
クレイの撃った銃弾は、理事長の額を貫通した。
言葉にならない鉄人の絶叫がこだました。床に広がる血溜まりに崩れ落ちた理事長を見 下ろし、僕の体は絶望に震えていた。
ああ、みんな僕のせいだ。僕がいるだけで、大勢の人たちが不幸になっていく。学園の みんなも、先生も、鉄人も、みんな・・・
体の震えが止まらない。左手が徐々に熱を帯びていくのが分かる。セラフィムが僕の絶 望に反応しているのだ。隣では、やはり顔色を失った鉄人が、羽交い絞めにされたまま、 呆然と立ち尽くしている。
「やっと・・・あなたから、私の大事なマウスを取り返すことができた。ようやく本懐 を遂げることができて私は満足ですよ」
クレイはふぅと大きく息をつくと、理事長の亡骸を見下ろし、その頭をつま先で軽く小 突いた。
「ドクトル、足の怪我は・・・」
一人の研究員が、心配そうにクレイに声をかけた。
「ああ、少し掠っただけだ。たいしたことはない。さて、行こうか」
全てが終わった。誰もが死に絶えた。そう思ったそのとき―――
背後で、誰かが動く気配がした。そして、消え入りそうなうめき声が、確かに僕らの名 前を呼んだ。
「・・・ツ、テツ・・・ノエ・・・」
僕らも、もう生存者はいないと踏んでいたクレイや研究員たちも、驚いて振り返った。 そこには、生徒たちの亡骸を掻き分けるようにして、ゆらりと立ち上がる人影があった。
「・・・ハー!?」
それは、変わり果てた姿になった遥兵だった。
色白だとみんなにからかわれていた皮膚に、無数の不気味な紫の斑点が浮かんでいる。 食いしばった口元から零れる血が、白いシャツを赤黒く汚していた。
「ムックレ・・・、お前には・・・テツもノエルも渡さない・・・!」
真っ赤に充血した目を真っ直ぐにクレイに向けて、遙兵はきっぱりと宣言した。その手 には、滑稽なほど華奢なカッターナイフが握られている。
クレイは驚いたように遙兵をまじまじと見詰めていたが、やがて愉快そうに言った。
「・・・ほう、これほど強力な神経ガスにも耐えうるとは、驚きだな。君のような強靭 な肉体にセラフィムを埋め込んだらどうなるか、興味深いところだ」
「ハー!だめだ!もうやめてくれ!!逃げてくれ、頼む・・・!!」
鉄人が涙交じりの声で叫んだ。自力で立っているとはいえ、遙兵はもう虫の息だった。 もう自力で逃げる力もないだろうし、彼らが遙兵を見逃すとは思えない。ましてやその手 に握られた頼りないカッターナイフなんかで、彼らに立ち向かえるわけも無い。
「遥兵、もういい。もういいんだよ・・・!」
僕は叫ばずにはいられなかった。もう、自分のせいで誰かが無残な死を遂げるのを目の 当たりにするのは耐えられなかった。
遥兵は僕らの言葉には耳を貸さず、おぼつかない足取りで、ゆっくりとこちらに向かっ てやってきた。研究員たちがいっせいに銃口を遥兵に向ける。
―――だめだ、来てはいけない・・・!
僕が再び叫ぼうとしたそのとき、傍らの鉄人が、突然その場にがくりと膝を突いた。
「て、鉄人・・・?」
「お願い・・・します」
意地や屈辱をかなぐり捨て、ただ遥兵を救いたい一心で、鉄人はクレイの足元に頭をす りつけるようにして、震える声で言った。
「お願いします・・・ハーを助けて。俺はもう、どうなってもいい。もう二度と、ラボ から逃げ出したりしない。ずっと、一生あんたの傍にいて、どんな実験も受け入れるって 誓う。もう俺は・・・人間じゃなくなっていい。マウスでいい。だからお願い、ハーを・・・」
「そんなこと・・・俺が許せねえよ!!」
鉄人の言葉を遮るように、遙兵は残った力を振り絞って絶叫した。そして、震える手に 握られた華奢なカッターナイフを片手に、クレイに向かって倒れ込むように突進した。
「いやだぁぁぁぁ!!」
鉄人の絶叫。そして、銃声。
クレイの手の中の拳銃の口から立ち昇る硝煙と、ゆっくりと崩れ落ちる遙兵の体を、僕 は震えながら見つめていた。
熱い。左手が、たまらなく熱い。
鉄人と僕の怒りと絶望に、僕らに宿るセラフィムが首をもたげるのをはっきりと感じた。 そして―――
ドクン。
ラ・ムエルトとラ・ダムネイションがまるで呼応するかのように、鉄人の右手が、僕の 左手が、激しく輝き出す。
「なっ・・・何事だ?」
突然の出来事にクレイが一瞬顔を怯ませた。後ろに待機する研究員たちも目の前の状況 が分からず、ただ僕らを取り巻くようにして、おろおろと立ち尽くしている。
「ああ・・・あああああ!!!」
床にうずくまったまま、右手を強く押さえつけ、鉄人は絶叫した。ムエルトが、容赦な く牙を剥いた。クレイも研究員たちも、皆自分の身に何が起こったのか分からないまま、 ムエルトにテロメアを食われてばたばたと倒れてゆく。
そして、ムエルトに誘発されるように、遂に僕のセラフィムも咆哮した。
耳をつんざくような不気味な絶叫と共にあふれ出した紫紺の闇と激しい衝撃が、クレイ を、研究員たちを、このホールの全てのものを絡め取り、吹き飛ばしてゆく。
凄まじい衝撃に耐えながら、鉄人は右手を、僕は左手を押さえ込むようにして、ただた だ狂ったように叫び続けた。
僕らにはもう、セラフィムの力も、自らの感情も、抑えることができなかった。
全てをセラフィムの意思に身を委ねた僕らは、目の前にある全てのものを、ただひたす ら蹂躙し続けた。
3.
頭上高く昇りつめた太陽が激しく照りつける中、鉄人は相変わらず黙々と島中を歩き続 けた。僕も何も言わずに、ただ鉄人の後ろからついて歩いた。
採鉱地帯を抜け、僕らは住居区に入った。
島民たちがこの島を去って数十年。かつては鉱員とその家族で賑わっていたアパートの 群れも、購買部も、病院も、学校も、今はひっそりと静まり返り、取り残された建物たち は、ただ静かに己の崩壊の時をじっと待っているようだった。
地面を埋め尽くす瓦礫の中から力強く芽吹く草木は、力強く枝葉を広げて、朽ち果てた 灰色の建物の群れを覆っていた。一つの終わりを迎えたこの島で、新たな命の再生が始ま ろうとしている。
始まりと終わり、生と死が交差するこの不思議な島を彷徨いながら、鉄人は一体何を感 じているのだろう?
希望?絶望?それとも・・・
4.
あれから、死の静寂に包まれた大ホールを抜け出し、僕らは地上に出た。
外は夜だったが、沢山の投光機や赤いサイレンの光で辺りは眩しいほどに明るかった。
中の異変に気付き、血相を変えて動き回る機動隊や警察や野次馬たちに紛れて、僕らはた だ無我夢中で逃げ出した。
僕らは人目を避けて、様々な場所をさ迷い続けた。幸い、お金には不自由しなかった。 鉄人が理事長から渡されていたキャッシュカードを持っていたからだ。それはいつ使えな くなってもおかしくなかったが、不思議なことに口座が凍結されることはなかった。僕ら は理事長の口座から、必要最低限のお金を引き出し、身の回りの必要最低限のものを買い、 あてのない放浪を続けた。
世間はしばらくの間牡鈴学園で起きた奇怪な事件のことで持ちきりだったが、やがて時 と共に、人々の関心は新たなニュースへと移っていった。
しかし、僕と鉄人の時間は、あの大ホールの出来事以来、完全に止まったままだった。
鉄人はあれから、殆ど口をきかなくなった。僕もあえて話しかけようとはしなかった。 何を語っても、互いの苦しみが増すだけのような気がしたから。
昼間はあてもなく東京の街を歩き回り、夜は公園や路地裏で身を潜めるようにして眠っ た。毎晩のように、あの出来事が夢に甦り、ぐっすりと眠れる夜はなかった。
額を打ち抜かれた理事長。最期まで僕らを庇うために、死に体で立ち上がる遙兵。そし て、苦痛にのたうちまわる沢山の生徒たち―――
彼らは自ら危険を承知で、梁山泊に留まっていてくれた。でも、僕らの親友であった遙 兵たちはともかく、大部分の生徒たちは、まさか本当に自分の命が奪われるとは思っても いなかっただろう。周りの興奮と、非日常的なスリルに一時的に魅了され、何となく留ま っていた者も少なからずいた筈だ。
『どうして、俺が?』『どうして私たちが、こんな目に遭わなくちゃいけないの?』
彼らの無言の叫びが、夜な夜な僕を責め立てる。おそらく鉄人も同じような夢をみてい るのだろう。互いが発する悲鳴で目を覚ますことも珍しくなかった。
幸か不幸か、今のところ追っ手に出くわしたことは一度もなかった。日本の警察はもち ろん、何よりもハルモニア製薬の人間たちは、僕らを血眼になって捜しているはずだ。そ れとも、クレイをはじめとする主たる研究員たちをセラフィムの力であっさりと失い、さ すがのドン・ヒクサクも下手に僕らに手出しできなくなっているのだろうか。
やがて僕らは東京を出て、目的地もないまま列車に乗り、様々な土地を放浪し始めた。 先のことなんて、とても考えられなかった。鉄人は相変わらず無口で、感情を殆ど顔に出 さなかった。しっかりと心を閉じてしまうことで、必死にあの悲劇の重みに耐えているよ うに見えた。
僕も疲れ果てていた。心に深く抱え込んだ傷が、時と共に痛みを増し、徐々に神経が磨 耗していくのを感じる。
もう、終わりにしたい。全てを。
僕は密かに待っていた。僕の人生に幕が下りる瞬間を。
僕のセラフィムが、僕を捨てて新たな宿主に移っていく瞬間を、不謹慎だと思いながら も、僕はずっと待ち望んでいた。たとえどんな恐ろしい死に方をしても、この世界から消 えてしまえば、この重苦しい罪悪感から逃れることができる。死だけが唯一の逃げ道なの だ。
一人取り残される鉄人のことを思うと、胸が痛んだ。僕だけがこの絶望だらけの生から 解放されるなんて、卑怯だ。でも・・・それでも僕はその瞬間を、今か今かと待ち焦がれ ずにはいられなかったのだ。
しかし、どんなに月日が過ぎても、ラ・ダムネイションが僕から離れようとする気配は 無かった。
僕は内心激しく動揺していた。ラ・ダムネイションは約3ヶ月で宿主を変えるはずだ。 なぜ、僕の中に留まる?どうして出て行こうとしない?
どんなに考えても理由は分からなかった。混乱する僕をよそに、ラ・ダムネイションは ただ静かに僕の中に息づいていた。まるで、ようやく自分にぴったりの宿主を見つけたと でも言う風に。
もしかすると、これは僕に与えられた「罰」なのかもしれない。深い罪悪感と孤独を抱 いたまま、永遠にこの世界を彷徨い続けることが、僕が負うべき運命なのかもしれない。 鉄人には罪はない。あくまでも鉄人は被害者なのだ。でも、僕は違う。僕も元は鉄人た ちのような哀れな被験者たちを、自分の研究の為に、マウスとして扱っていた残忍な研究 者の一員だったのだ。僕がラ・ダムネイションに寄生されたのは、ある意味自業自得とい うものだろう。
僕にはきっと、死ぬことすら許されないのだと思う。でも、鉄人は違う。鉄人には、己 の肉体と共にセラフィムを葬り、全ての苦しみから解放される権利があるし、鉄人自身も、 きっとそれを望んでいるのに違いない。だから、鉄人はこの島に来たのだろう。全てが朽 ち果て、人々から忘れ去られたこの孤島に、自分の死に場所を求めるために。
でも、今の僕には、鉄人なしで生きていく自信が無い。得体の知れないセラフィムと、 底知れぬ罪の意識を背負って、たった一人きりで生きていく自信が無い。
一体僕はどうしたらいいんだろう・・・?
どんなに考えても答えを見つけることが出来ないまま、僕は鉄人と共に、あてのない放 浪を続けるしかなかった。
5.
日は大きく西に傾き、今日最後の陽光が廃墟の群れを染めている。
島中を歩き回り、疲れ果てた僕らは、崩れかけた岸壁に並んで腰掛けて、金色に染まる 穏やかな水面を見つめていた。
鉄人はやはり黙ったまま、じっと海を見詰めていたが、やがておもむろに口を開いた。
「ノエル・・・」
「なに?」
こちらに顔を向けた鉄人の虚ろな目の中には、やはり虚ろな目をした自分がいた。
「苦しいんだ」
「・・・うん、分かるよ」
「俺にはもう、耐えられそうにない。だからいっそ・・・」
―――終わりにしてしまいたい。死んでしまいたい。この世界から、消えてしまいたい。
「だめだよ、鉄人」
僕は鉄人に最後まで言わせるのを拒むように首を振った。
「君は生きなくちゃだめなんだ。それが僕らのせいで死んでいったみんなに対する償い なんだよ。理事長先生や、遙兵たちや、牡鈴学園のみんなが守ってくれた命を、自ら放棄 するなんて、許されないことなんだ」
僕は咄嗟に吐いた自分の陳腐な言葉に、思わず失笑した。
死を望んでいるのは、自分も一緒なのに。鉄人を一人ぼっちにしてでも、ラ・ダムネイ ションに殺されるのを心待ちにしていたくせに。自分が一人で生きていく勇気が無いから といって、鉄人が死ぬことは許さないなんて、なんて身勝手なんだろう。
鉄人はぼんやりと僕の顔を見つめていたが、やがて哀しそうに目を伏せて、静かに肩を 震わせ始めた。小さな嗚咽が漏れる。しかし、涙は流していなかった。まるで、自分には 涙を流すことすら許されないのだという風に、鉄人はただひたすら波のように押し寄せる 絶望と戦っていた。その姿があまりにも痛々しくて、僕は思わず固く目を瞑った。
逃げてはだめだ。もう、こんな不毛な逃亡は終わらせなければならない。僕は、いい加 減自分の運命と正面から向き合うべきなのだ。
瞑っていた目を開け、大きく深呼吸する。そして、覚悟を決めた。
―――鉄人を、この手にかけよう。
この先の見えない苦しみから解放されるには、肉体もろとも、セラフィムを葬ってしま うしかない。鉄人にとって、それが一番幸せなのだ。鉄人だけでも、楽になるのならそれ でいい。
僕は鉄人を見送り、一人きりで生きて償い続けていこう。僕の罰は鉄人よりもずっと重 いのだから。
それに、僕のセラフィムは、僕の肉体が滅べば別の人間に寄生するだろう。自分の罪か ら逃れるために、誰かを不幸にすることはもうできない。ラ・ダムネイションは、僕が引 き受けるべき罰なのだ。
僕が決意を伝えようと口を開きかけた時、鉄人がふと顔を上げて、消え入りそうな声で 言った。
「・・・だめだ、ノエル」
「え?」
「やっぱり、だめだ。俺は、死ねないよ」
意外な言葉に、僕は面食らって鉄人の顔を見た。
「ここで死んじまっても・・・あの世で、ハーやシグや理事長たちに、どんな顔をして 会えばいいのか、俺のせいで命を落とした生徒たちに、何て謝ればいいのか、俺にはいく ら考えても分からない・・・」
「鉄人・・・」
「俺にはまだ、あいつらの元に行く勇気が無いんだ。だから・・・まだ死ねない」
鉄人の苦しげな横顔が、辛かった。
君が、罪の意識を持つことなんて無いんだ。君だって、被害者なのだから。誰も君を責 めたりはしない。責められるべきは、僕のほうだ。だから、だから・・・
「鉄人、僕は・・・っ」
突然、堰を切ったように溢れ出した涙が、頬を伝ってぽたぽたと音を立てて膝の上に落 ちた。鉄人は驚いたように僕を見た。
「・・・ノエル?」
僕は嗚咽を必死にかみ殺そうと、肩をすくめて両手を口元に強く押し付けた。それでも 涙はとめどなく溢れ、とめることができなかった。鉄人は僕の肩に手を置き、悲しげに言 った。
「ノエル・・・ごめんな。お前も辛いのは一緒なのに、いつも俺ばかり弱音を吐いちま ってて・・・本当に悪かった」
僕は口を押さえたまま、必死に首を振った。
違う、違うんだよ、鉄人。
君が苦しそうにしているのを見ているのは、辛い。だから、君を早く楽にしてあげたい と思う。
でも、それと同時に、僕は君が死ぬことを諦めて、僕の傍にいてくれることに、安堵し ているんだよ。一緒に責め苦を背負ってくれる同士を繋ぎとめられて、ほっとしているん だ。
とても卑怯だろう?君には僕を罵る権利はあっても、謝る理由なんて、何も無いんだ。 鉄人は嗚咽の止まらない僕の肩に手を置いたまま、再び夕陽にきらめく水面に目を落と し、ぽつりと呟いた。
「なあ、ノエル。俺は一体どうすればいい?どうしたら、みんなに許してもらえるんだ ろう・・・?」
やがて夕陽は西の水平線の彼方に沈み、空にはちらほらと星が姿を現し始めた。
歩き疲れた鉄人は、防波堤に寄りかかり、小さな寝息を立てている。その傍らで、僕は 薄闇に沈んでゆく廃墟の群れをじっと見詰めていた。
形あるものはいつかは朽ち果て、生命はやがて老いて死ぬ。そして新たな生命が誕生し、 それもまた老いて死んでいく。生命が紡ぐ永遠の円環から外れた僕らは、この世界では異 物なのだろう。異物ゆえに、存在しているだけで、誰かを傷つけたり、誰かに傷つけられ たりしてしまうのだ。
それでも、僕らは生きていかなければならないのだろうか。そもそも、なぜ僕らはこん な異質な存在にならなければならなかったのだろう。僕らだって、この世界に生み落とさ れた幾多の生命のひとつに変わり無いのに・・・。
いくら考えても答えの出ない疑念を追い払うように、僕は頭を振った。そして、傍らに 眠る鉄人の少し痩せた顔を見つめた。
少なくとも僕は、鉄人が生きることを望む限り、いつまでも傍に居続けよう。彼の苦し みを少しでも軽くしてあげることが、今の僕に思いつく、唯一の償いだった。
「・・・一緒に生きよう、鉄人」
自分に言い聞かせるように呟きながら、僕はふと瓦礫の隙間から、力強く芽吹く草木を 想った。
この死に絶えた世界で、必死に息づくあの生命のように、僕は生きよう。たとえ目の前 に広がる絶望の闇の終わりが、永遠に見つからないとしても・・・。
やがて、島の中心に聳え立つ灯台が、唸りを上げて回り出した。闇夜を彷徨う船を導く 光が、優しく、そして力強く海面を照らし出す。
「・・・誰か」
僕は無意識に呟いていた。
誰か、教えて。僕らが行くべき道を。歩むべき人生を。
この灯台のように、目の前に広がる深い闇を照らす光を、どうか僕らにも―――
<了>
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R「脳内インビジ祭なんですけど」
私「いっそ全世界的なカーニバルにしちゃいましょう」
R「ありえないほどダークなんですけど」
私「大好物です。思うがままに邪悪であってください」
R「ハーが死ぬんですけど」
私「上等です。さあさあ執筆をお続けください」
……等々の(不毛な)会話から現実のものとなった、寄稿第三弾は108星皆殺しエンドです。
いかがだったでしょうか。
納得のいく方も、これはないでしょうと感じた方も、ご拝読ありがとう。
神の手には百万通りものエンディングがあるような気がしてきました。
”ベストエンディングが必ずしも正史ではない”というのが幻水の考えかただそうですが、神の手も、私の執筆したエンディングがすべて正しいのではありません。
幾通りもの終わりかたがあって、アールさんのこのお話も、そのひとつだと思うのです。
グレアム・クレイはひとつの島を紋章砲で破壊し、何の罪もない住人を無差別に虐殺した張本人です。口約束を次の瞬間に破棄できる人であってもちっともおかしくない。彼のパラレルと考えると、こういう展開もありでしょう? ね。けして突拍子もない展開、というわけじゃないと思うんだけど。
なんかもっといろいろなエンディングが見たくなってきました。
期待するのは、贅沢でしょうか。
それにしてもハー……いまわのきわでも、クレイはムックレーなんですね(つっこみどころはそこか!)。
アールさん、ありがとうございました!
2007-07-09
まだ続きがあります! 2ページめをクリックして読んでね!
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